prochronism and our works

先日、ドミニクチェン氏と遠藤拓己氏率いるdividualのオフィスにg86で伺いました。

pic: dividual & g86

typetraceの新しいバージョンのtestに参加!

昨年末にdividualは東京都写真美術館に説作家の舞城王太郎氏とのコラボレーション作品を展示してたので知ってる方も多いと思いますが、typetraceとは

キーボードを使って書かれた文章が,書いた結果だけではなくて,変換過程や、考え込んで過ぎる時間やその思考の溜めが字のサイズに表現されたりと

どのように書かれたのかという過程を共有するためのソフトウェア。

手書きと違ってwordがサポートするのはctrl+cとかctrl+v等の単なる作業のショートカット的身体性だとすると、

typetraceは"想うこと"と"手紙にすること"の中で繰り広げられる客観と主観のフィードバックが同時に瞬間的に無数に行われるような身体性の獲得、というかもはや頭脳自体の能力を拡張している。

執筆時の思考のプロセスを共有できるというのももちろんすごくて、このソフトウェアは"開く"ことにも使えるし一方で純粋に自分の思考のためだけに"閉じる"ことにも使えると思った。

dividualの掲げるマニフェストの中に一つ、大事なキーワード[prochronism]が登場する。

"あらゆる生命がその成長プロセスを自らの身体に刻印していくように,わたしたちがネットワークを介して世界に向けて常に放ちつづけているデジタル情報の総体もまた,わたしたちの生命的な成長プロセスの一部として認識できる.ddでは,この活きたプロセスの記録をプロクロニズム(prochronism)と呼ぶ."とある。

そのprochronismの一つの実践としてtypetraceが位置づけられている。

プロクロニズムは、"根拠と結果"とか"リサーチとデザイン"とか"観察と定着"とかそもそも創作に関わる様々な二項対立的キーワード郡を架橋する。

先週見学会に行ったk-projectの設計者である藤村龍至氏の超線形設計プロセスも様々な人を巻き込みながらリサーチとデザインが同時に進行していく。僕には設計者の思考と都市を架橋するまさに建築におけるプロクロニズムに見えた。これらは思考と生成の関係を大いに変えてくれると思う。

そういった両者のプロクロニズムの実践を直接体感して、建築と都市という二項対立から考えるんじゃなく、身体と都市とを架橋した結果たち現れる空間こそが現代的な空間なんじゃないかと思い始めた。情報化が進んだ現代では建築を介さずに身体が直接的に都市に存在していると思う。僕らg86の最近の空間の実践の一つにgraffiti projectionがある。様々なリズムや色彩を内包した映像を直接都市に照射する。都市では窓柱壁屋根ルーバー手すり勾配色仕上げetc様々なリズムがサーフェスにレイアウトされているから、映像(ぼくら)とサーフェス(都市)との間でジャムセッションを起こし、反射したりモアレとなって空間が現れる。非常にテンポラリーでゲリラ的実践だからその空間で戯れることができるのはぼくらと道を行く人だけ笑。何度か実践しているうちに、映像のどのリズムと都市のどのリズムが相性がいいとか、漠然と見えてきて、スケーターの空間感に近い気がする。(余談だが、スケーターの発する音と佐川急便の発する音は非常に似ている笑)

テンポラリーでコンテンポラリー。

アバンギャルドでアバンチュールを目指したい。