vol.22 建築家 KUU

KUU
佐伯聡子氏 +KM TAN氏


上海を拠点にアジアを活動ベースにする建築事務所。佐伯聡子、Kok-Meng Tan(シンガポール)によるパートナーシップ。現在KUUバンコク主催のBoonsanga Tetiya Tek(タイ)はKUU上海の元パートナー。
佐伯聡子 (1973年名古屋生まれ)_1997年 明治大学卒業_2000年 ペンシルヴァニア大学大学院修士過程修了_2000-2002年 MADA s.p.a.m.勤務_2003年 明治大学非常勤講師_2008年 深セン大学非常勤講師
Kok-Meng Tan (1964年シンガポール生まれ)_1992年 シンガポール国立大学卒業_2000年 U.P.C.バルセロナ大学修士課程修了_2000年  Alvar Aalto Centennial ワークショップ参加_1999-2001年 シンガポールアーキテクト編集長_1999-2003年 シンガポール国立大学; RMIT シンガポール大学; UNSW シンガポール大学非常勤講師_2008年 深セン大学非常勤講師

(このインタビューはKUUのお二人(上海)、g86山道(東京)、g86鎌谷(北京)の3つの都市間でインターネットを通して行われ、後日、東京にて実際にお会いし議論を重ね編集したものとなります。)


「中国でスタートしたきっかけ」
山道:今日はよろしくお願いします。
KUUは上海を中心に活動しています。
まず、佐伯さんが上海で仕事をするきっかけについて教えてください。
また、上海と東京は、同じアジアの都市ですが、東京は住宅で出来た都市であると言える一方で、上海は摩天楼を思考しているように見えます。
そういったコンテクストの違いについてお聞かせください。
佐伯:こちらこそよろしくお願いします。
アメリカの大学院で修士設計時の担当講師が中国人建築家でした。卒業後、その人に上海で仕事をしないかと誘われ、それに参加したのが上海に来るきっかけでした。それが2000年で、まだ中国が今ほど騒がれることになる前のことだったので、中国でデザインの仕事をすることについて周りの人から反対されたりもしました。今では若い人含め、日本人の設計者はたくさんいますが、その頃はほぼゼロだったと思います。その事務所に数年勤めた後、日本でプロジェクトの話があり上海をいったん離れました。ただどうしても上海にやり残し感があり、2年後にまた上海に戻りその時に事務所を設立しました。
上海には過去に日本を含めた諸外国によって占領されるという苦い過去があり、街中にそれらの外国人によって建てられた西洋風住居や、それが中国風にアレンジされた里弄という住居形式がかなりの量残っています。割と早いうちに上海政府はそれらにビジネスチャンスがあると気づき、保存する方針を決めています。もちろんコンディションの良くないものは都市成長のあおりを免れずにどんどん壊されて、高層ビルに建て替えられていますが、それでもかなりの量が残っていて、新旧の混じったとても特徴のある街並みを作っています。東京とも似ている部分がいくつかあり、実はそのうちの一つが「都心部に住宅がたくさんある」という所なのです。上海都心部の住まい方は特徴的でKUUでも色々とスタディーをしています。

fig1:shanghai housing study

fig2:shanghai housing study


もう一つの共通点は「歩ける都市」ということです。北京の様に一ブロックが大きすぎて歩きにくいということもありません。
山道:なるほど。特に佐伯さんが建築をそれぞれの都市で設計する時に、それぞれの都市をご自身の中でどのように位置づけて考えていますか?
佐伯:上海にいるので上海用のスタンスがあるという訳でもありません。共通したものの捉え方のようなものがあり、それを通してそれぞれの異なるコンテクストというか現実に対応していくような感じです。残念ながら現在は東京でのプロジェクトはありませんが、中国は広いので上海とその他の都市では状況がかなり違いますし、シンガポールやタイでのプロジェクトもしています。各地で現実的に多くのことが違うので、それに対応していくうちに結果として違ったものが出来てくるのが面白いと思っています。最近は情報の共有によってどの都市にも同じような建築が建ち始め、都市間であまり差が無くなってきていることには不自然さを感じていますから、KUUというフィルターを通すことで何かその都市の特徴や面白いところが現れてくるといいなと思っています。

「スケール感の違い」
鎌谷:はじめまして。鎌谷潤と申します。よろしくお願いします。今僕は迫慶一郎さんが主宰するSAKO建築設計工社の北京事務所にてインターンをしております。ここに来て一番感じるのは、距離と時間の感覚の違いです。北京は佐伯さんのおっしゃる通り、一ブロックが相当大きい。歩きづらい。CBD地区にいるので、よりその北京のスケールを感じます。また中国は都市の更新速度が相当早い。至る所でスクラップアンドビルドの風景が広がっている。行きつけの場末の飲み屋がこの2ヶ月で3件つぶれました。笑 またそれは、迫事務所でのプロジェクトに関わっていても感じます。数百万㎡の都市計画級のプロジェクトの締め切りを1週間後に設定してきたりします。その距離と時間感覚の違いには驚きました。佐伯さんは上海で設計活動をなさっていますが、その日本との違いを具体的にどういう所で感じますか、それが設計でどういう風に反映されているのか、もしございましたらお聴かせ下さい。
迫さんも佐伯さんと同じように、北京用のスタンスがある訳ではなく、その国々の特徴を拾い上げてそこから抽出していく作業だとおっしゃっていました。ただその単位が国というのが僕にとっては衝撃だったのを覚えています。 _
佐伯:鎌谷さん、こんにちは。はじめまして。
まず距離についてですが、中国では距離というかスケールに対する感覚が違いますよね。北京のブロックの大きさについてもそうですし、開発物件のスケールをみても感じられると思います。香港やシンガポール等の土地に限りがある場所とは違って、中国人の頭の中では国や大地は無限に近い感覚なのでしょう。開発のレベルでは、共産主義であることも当然関係しています。ただ新築マンションで400平米とか、別荘で1000平米なんてものをみると正直何だこりゃと思います。好景気なので可能なことでもあるわけですが、多くはより大きく開発してより大きく儲けるという、国や中国デベロッパーの思惑です。KUUの別荘プロジェクトの2 in 1 villaでは「日常暮らすのにそんなに大きなスペースいらないでしょ」というアプローチをしています。

fig3:2 in 1 villa

fig4:2 in 1 villa


時間については、中国は早いというイメージがありますが、実際には終わってみたら意外と時間がかかったということもよくあります。確かにこちらのクライアントは初めは必ず無茶なスケジュールを持ってやってきますが、色々な意味でオーガナイズされていないことが多く、必ず途中で何度かスローダウンします。実はクライアントはその辺りも分かっていたりとか。最初はあたふたしましたが、最近は慣れてきて加減がわかるようになってきたような気がします。
もう少し長いスパンでの時間の捕らえ方も中国人は違うようです。現在はあくまで長い歴史の通過点というような意識でいるようなので、細かいことに大らか(大雑把)なのかもしれません。
迫さんの事務所と異なる点は、KUUは私とシンガポール人とタイ人のパートナーでやっているので、日本人事務所という意識がないところです。私達にとっては概念としての国とか国籍はあまり重要ではないように思います。当然私個人は日本人なのだけれども、それはもっと習慣というか体にしみ込んでいるようなレベルのものです。どの環境に住むか、どの都市に住むかは重要ですが、どの国に住むかというのはそれほど重要だとは思っていないのかもしれません。設計時にも、国の話をすると抽象的な話に終始しがちだけれども、都市の場合は気候、風土、文化、習慣といった要素をもっと具体的に落とし込めるように思います。

「中国の豊富嗜好」
山道:中国での建築家の土俵を見ていると、「大規模再開発」or「古い町家やショップのリノベーション」の二択と言い切ってもいいくらい乖離したもののように見えます。しかしkuuの提案する「2 in villa」は、そのビッグネスとスモールネスの乖離を架橋するモデルと位置づけることが出来ると感じました。
また日本人事務所という意識が無いというのが、興味深いです。しかし、「2 in villa」を見ると、‘小さな建物’と‘隙間’で出来ており、それはやはり‘東京’や‘日本’でこそ、佐伯さんが培うことが出来た都市感だと思いました。
僕自身ベトナムや、マレーシア近辺のアジアへリサーチへいきましたが、街には隙間がなく、グチャっと街全体が寄り添うように、文字通り、構造的にも本当に支え合っているんじゃないかという風景が広がっています。

fig5;ハノイの街並


そこでお聞きしたいのは、シンガポール人やタイ人の方と仕事をしていて、どのようなプロセスを経て、「2 in villa」では「小さな建物」とか「隙間」という具体的な形式にまで落とし込みましたか?
佐伯: 前述したように、小さく住もうよというのが提案としてあったのですが、設計しないといけないのは800平米の邸宅でした。よってここでは基本的な住居機能は中庭の更に内側に入れられています。そしてそれ以外はパーティー用というか、ハウスツアー用のスペースという設定になっています。この小さく、ということに関しては日本人の身体感覚に近いものが基本になっています。ただスケールについて言えば、幼少期に長屋のような場所に住んでいたKM(シンガポール人パートナー)も、心地いいものになりうるという感覚を共通しています。
ただ今回は隙間(庭)も含めて入子状にレイヤーにすることによって、ある程度の密度を生み出すことも目指したものの一つでした。というのも、中国人の共通概念というか嗜好のようなものの一つに「豊富(ふぉんふー)」というものがあって、それはニュアンスとしては「より多いもの」「賑やかなもの」という感じなのですが、それを生み出したかったのです。ただ、特殊な材料や装飾のようなものを用いるのではなくて、空間と人の行動が重なって見えることによってその感覚をつくりたいなと。よって隙間を作って空間を整理するというよりは、それによって空間の奥行きや種類を増やそうとしました。アジアのスラムの様な状態と比較するのは少し難しいですが、それでも複雑さみたいなものを作ろうとしたのです。
ちなみに、今日はたまたま金沢にいたのですが、アトリエワンのプロジェクトである「町屋ゲストハウス」に泊まることができました。最初に着いた時の印象がとてもよくて、奥の松の木までいくつかの部屋を介して見通せて、しかも土間にも庭が引き込まれていました。中からみると町とつながっていて、一番表に近い和室に座っていたら、通りを行く人が気づいて声をかけてくれる。面白いのは気づくのは子供の方が多かったということです。畳に座ると目線が外にいる子供と同じになるようですね。中国の古い住居にも見られることですが、ここでは部屋と部屋が閉じていなくて連続していて回遊できることで、空間の可能性が無限に広がっています。現在進行中の「MINUS K HOUSE」でも同様のことが基本になっています。

fig6:MINUS K HOUSE

fig7:MINUS K HOUSE


ここでは一単位が3mx3mと小さいのですが、それを繋げてさらに回遊させることで狭さを感じさせないようにしています。この3mx3mというのは小さい空間でも十分だよという考えからと、低予算であるこのプロジェクトに中国で一番凡庸なブロックによる壁構造を採用したためにスパンをできるだけ小さくするという目的もありました。
鎌谷:中国の豊富嗜好は実に面白いですね。祭りで使われるような賑やかな装飾がどんな店内にもいつも飾られているし、看板は可能な限り配置する。建築だけでなく人もそうで、でっぷりとしたお腹は富裕層のステータスとして解釈されている。そのように、一目見て明らかに富んでいる状態というのを中国は好みますね。その豊富嗜好を佐伯さんは解釈しなおして、空間的に「富んでいる」状態を作り出そうとされているやり方は非常に興味深いです。それは日本人が中国で設計をしてこそ生まれる状態なのかもしれません。それと繋がりますが、KUU設計の「SUPER SENSE SPA2」では壁を剥がすなどの引き算のデザインを取り入れている。

fig8:SUPER SENSE SPA2

fig9:SUPER SENSE SPA2


それは中国ではあまり見られない手法だと思います。引くことで全体として「富んでいる」状態を作ることはこちらにいると新鮮に映ります。
荒波の中国で新しい価値を提唱しようとされている佐伯さんの建築家としてのスタンスにはとても感服いたします。
これまではKUUでは、ハウジングプロジェクトや内装プロジェクト等を中心として活動されていると思いますが、アモイのオフィスタワー等のスケールの大きなプロジェクトもいくつかされてきています。そういったビッグスケールの建築を設計する上では、また別の論理が働くと思います。相当な資本が動きますし、様々な人が介入してきます。迫さんは、そういう状況で、明快な「主題」と「タイトル」を作品毎に与えることで、スピードを保ちつつ共有を図りながら、プロジェクトを進行させています。
そのような資本と人が大きく動く状況の中で、設計をしていく上で、佐伯さんはどのようなことを意識しておられますか。
佐伯: そうそう「富んでいる」ことですね。何かと賑やかなことが好きなのです。よって「SUPER SENSE SPA2」でも引くということと同様に重ねるということも意識しています。1930年代の建物なので、オーナーや用途が変わるたびに壁紙やタイルが剥がされたり、重ねづけられたりして今がある。そしておそらく今のオーナーが最後ではなく、これからも同様のことが続いていく。よって古いものが全て重要で保存とか、古いから要らないとかではなく、現在を歴史の一過点のようにとらえて、既に重なってきたもののいくつかを剥がし、新しいものを更に重ねて上塗りしていくような作り方をしました。そしてその重なりが「豊富」というあらわれ方をするといいな、と。
私たちにとってはマスタープランニング、建築、インテリア、家具も、設計の手法とては差異はあまりありません。もちろん規模を含め諸条件の種類が違ってきますが、それの整理の仕方は同じことです。よってどれも同じようにやってみたいのですが、残念ながらマスタープランや建築のプロジェクトはその諸条件が複雑なので、途中で止まってしまうことが多く、いまだ実現したものがありません。「MINUS K HOUSE」が冬に竣工すれば最初に完成する建築になります。それ以外にも「FACTORY K」(image09,10)や「BAIXI VILLAGE」
(image11,12)等の中止になってしまったけれども、是非完成させたかったプロジェクトが多くあります。

fig10:FACTORY K

fig11:FACTORY K

fig12:BAIXI VILLAGE

fig13:BAIXI VILLAGE


ただ中国の大規模プロジェクトで気をつけないといけないのは、私たち建築家が関われる範囲が限られてくることです。基本設計までしか携わることが出来ずに出来上がってみたら違うものになっていたということがよくあります。それはこちらでの法や仕組みが違うからなのですが、やはりそれでは私たちとしても意味がない。よって最初から最後まできちんと見させてもらえる、インテリアや小規模なプロジェクトを好んでやっているということもあります。
それからどの規模のプロジェクトにしても、最終的にどのような空間になるのか、どのような使われ方をするのかに興味があります。言葉はそれを説明するためには使用しますが、それ自体が建築のアイデアをイニシエイトしたり、定義したりすることは少ないです。

「中国におけるメディアの可能性」
山道:一番興味を引いたのは中国の法や仕組みの違うという点です。実施設計をする設計院という組織があるので建築家は基本設計のみを手がけると書かれていました。また、「詳細図面よりも、現場で職人さんにヴィジュアルで説明することの方が大事」と、非常に現場主義というか物に近い実践の必要性を、商店建築のインタビューで読ませていただきました。
そういった状況の中で、佐伯さんは「私たち建築家が関われる範囲が限られてくる」とおっしゃられました。「富んでいる」状態を目指す、設計以外の建築家のメタな思考というか、中国の建築界(もしくは社会)へメディアを通してマニフェストを掲げたりといった活動の可能性や、教育の可能性についてはどう考えますか?
KM:中国のメディアは建築の議論や潮流には興味はなく、出来たもののヴィジュアルしか報道しません。「写真をください」というだけでアイデアを伝えることはなかなか難しいですね。

山道:中国のメディアは建築的思考やアイデアを伝えづらいという事ですか。

KM:そうですね。中国の建築メディアは若いからだと思います。中国では建築の仕事がたくさんあるので、若い人も大学を卒業したら仕事を得やすいし、給料も悪くない。だから教育や批評の道へ進んだり、雑誌の編集者になる人というのが少ないのも原因の一つかもしれません。

佐伯:中国ではボトムになる建築の概念が無いので、皆何を信じたらいいのかわからないということも言えると思います。世界で建築がモダニズムだどうだと言っていた時には、国内の情勢が不安定でそれどころではなかった。その後もずっと国は閉じていたのです。80年代になってようやく経済の開放と共に情報も増えてきて、西洋建築と共に磯崎さんや黒川さん等が紹介されるようにもなった。それでもまだ中国では建築のディスコースがびっくりするくらい無い。
また今の中国ではコンテンツよりスピードが求められるのも、ディスコースが育たない理由の一つかもしれません。

山道:シンガポールではどうですか?

KM:ここ十年で批評の土壌は整ったと思います。アートやソーシャルスタディーズなどの土壌も同時にそろって来ていてクロスオーバーしてきていると思います。
中国のメディアについて詳しく話しますとそれらは3つに分類されます。
一つ目は古いからあるもの。エルデコとか。ジェネラルで、ライフスタイルマガジンみたいなもの。
二つ目は、大学により発行されるもの。大学出身者の建築作品のアーカイブみたいなものですね。
三つ目は、ドムスとかa+uなどの海外のものの中国語版。
これらが、断絶してしまっています。

山道:日本でも雑誌の休刊が相次ぎ、ネットメディアの活用が随所で見られます。中国ではネットメディアの可能性についてはどう思いますか?

KM:そういえばシンガポールにはあなた達のような三つの学生のグループがあって、それが今では建築家のグループになりました。とても興味深い方法だと思います。

佐伯:私があなた達の活動を面白いと思うのは、雑誌に登場しない人に注目しているという点です。雑誌というのはたいがい同じ人しか取り上げません。「若手特集」と言えば、どれも同じ人。売り上げのためにはしょうがないのかもしれません。
中国の大学はすごいコンサバです。まだまだ教授の言う事が絶対で独立した思考を持つのがすごく難しい。今でも磯崎さんがいいとか、IMペイがいいとか、時間が止まっている。石上純也さんのような新しいコンテクストで仕事をする建築家を古くからの教授達が正確にジャッジできない。

KM:中国では講評会のときにも教授同士でも、批判的なことは言う事はありませんし、礼儀正しさを大切にする傾向があります。

佐伯:私たちが去年深セン大学で教えていた時にも「建築には色々な可能性があるんだよ」といった基本的なことを伝えるようにしていました。
本来中国ではネット上の議論はとても活発です。若い学生がそこに何か仕掛けていくことがもっと起きていくといいなと思います。

「地元に開くという方法」

山道:インタビューの冒頭に「引き算のデザイン」と鎌谷が言っていましたが、金沢のまちやゲストハウスでは、アトリエワンは、まちやを丸ごと作り替えるわけではなく、シンプルな方法で修理をして、ギャラリーやゲストハウスとして使いましょうという枠組みの変更を提案し、開いた町家のあり方を提案しています。こういう方法論は、古い街と再開発が混在する中国ではありえますか?

佐伯;あのプロジェクトを見させていただいて、地元に開いたあり方がとてもいいと感じましたし、それこそ、今度は地元の人が、あれを見て、次に繋げられるかが重要ですよね。

山道:以前、金沢に行ったときに、地元の人の中に町家にいい思い出ないとおっしゃっていた方がいたのが印象的でした。

佐伯:上海も同じ状況だと思います。私たちが古い家を見てこれはすごいと感じても、実は劣悪な環境だったりします。住んでる人たちにとっては、抜け出したいというところもあるかと思います。私たち建築家が考えるべきは、壊すか、そのまま完全に残すか、という0と1の世界でなくて、今どのように使えばいいのかを考えるべきだと思います。

山道:地元に開くというありかたがいいとおっしゃられましたが、KUUの事務所も古い民家を改修していて、内部にはギャラリーを内包していますよね。

佐伯;中庭の壁をギャラリーとして使っています。

KM:ビエンナーレにも飽きたので、ギャラリーオブエブリデイライフ笑。

fig14:KUU OFFICE


山道:笑。KUUのオフィスのあり方というのは、僕らが目指しているものそのものです。事務所内部に他者が展示できるようなスペースがあると、自分達の思考のジェネレーターになり得ると考えています。

「現場で考える」

山道:中国では設計院があるので、基本設計までしかしないので、それとともに詳細図面よりも現場で模型などでヴィジュアルで正確にやりとりしていくことが重要とありましたが、その中で育まれる独特の方法論などはありますか?

佐伯:人件費を気にしなくていい事ですよね。例えば、小さなタイルや装飾をズラーっと手作業で貼って行く意匠なんかは日本では絶対に出来ないけど、中国だと、工業製品を使うより逆にその方が安かったりします。
私たちがやっているハウジングスタディーでもブロックを手作業で積んで行きますが、人件費が安い事から発想の転換をすることがよくあります。

KM:あと中国では‘見積もり’が大雑把なので‘決断’を現場まで持ち込むこともできるというのも特徴の一つですね。工事が始まったあとで現場で見て仕上げを変えてることも出来る。

山道:現場でどんどん作り替えて行くのはアレクザンダーのようでもありますね。

佐伯:そうですね。フィックスしないおもしろさもありますよね。昔は日本の庭園なんかでも、あそこに木をもっと植えたらいいのではとか、ここに月見のスペースを作ろうとか、現場で柔軟に作り込んで行ったと思います。

「設計の実況?」

山道:コンピューターを使った設計についてはどうお考えですか?
佐伯:「遠隔操作」のようなやり方には興味があります。
上海やシンガポール、タイ、日本に渡って仕事をしていく際の新しいやり方として、コンピューターを活用するというのはありえると思います。現場に行けなくとも実況するとか笑。

山道;そういえば海外で新人の医者が手術をしなくては行けない状況になって、ベテラン医師からtwitterか何かで、指示を受けて手術を成功させた例がありましたね笑。

KM:設計をコンピューター化していっても、空間は変わっていないと感じます。例えば、フランクゲーリーやザハハディドの昔の作品と現在の作品では、ツールのコンピューター化が驚くほど進んでいますが、空間の質はそんなに変わっていないですよね。だからコミュニケーションには寄与しても、空間を変えうるとは必ずしも言えないと思います。

「これからの展望」

山道;KUUのこれからの展望を聞かせてください。

KM:両義的なことを考えて行きたいですね。アジア的なことと、ヨーロッパ的なこと。情報がシェアできる時代に何ができるかということを考えたいですね。現在の建築教育は西洋建築が基礎になっていますから、アジアの人は西洋を比較的良く知っている。ただ西洋の人はアジアをまだあまり知らない。安藤=シンプル、SANAA=軽いみたいな記号的なことで止まっているので、その状況が何とかできればいいなと思います。今はブログや出版物の中でそういったことを発信するようにはしています。

佐伯:そのためにも、プラクティスつまり建築を実際に作るという立場も大切だと思っています。作ることで見えてくる地域性というものや建築の手法というものがあり、それがまた次の思考やプロジェクトへと繋がっていきますから。

あとは先ほども言いましたが、漠然とあるイメージは遠隔操作みたいなものです。建築は現場があってその土地に縛られるというのは必須だと思うけれど、その一方で色々な場所で暮らすという豊かな経験も大切にしたい。よって拠点が色々あって、各所をまわりながら、、、なんてことが出来ないかなと考えています。

山道:建築が他の科学と違って面白いのは、そもそも矛盾のようなものを内在しているという点です。何も無い場所に壁を建てなきゃいけない。だから窓をあける。
KUUの目指す、遠隔操作のような離れていることの可能性と、最後まで決めないというような現場の可能性を考えることというのもそういった建築に元々内在している矛盾との格闘から生まれてきた思考だと言えると思います。今日はありがとうございました。