批判的工学主義の原風景

駅のホームから見ると、この建築の異質な外観の構成は一度で視認できる。それぞれが縦に飛び出したボリュームはそれぞれが独立性をもっているようにも、連続性をもっているようにも捉えられる。それぞれの縦ボリュームのスケールが高円寺の町並みのスケールと近似していて、それは高円寺とのまちとの関係においても同等のことがいえそうだ。高架下独特のスケール感のある商店街を歩いていくと、そこに突如として表れる。工学的なまでに広々としたスケールの一階部分、それが上部のボリュームを一気にまとめ、全体として敷地からセットバックしている。急に全体性をもって現れてくるその姿は、高円寺というまちとある距離感をもって対峙しているかのよう。近づくにつれて独立性が強くなる。それは圧倒的に異質な光景だった。


そこから内部へと入っていく。急にスケールはヒューマンスケールに落とし込まれ、迷路のような内部通路を介して、多様なバリエーションを持った個室群と繋がっている。全体を構成する深層のストラクチャー等が表層の個室空間には表出されているのが面白い。エンジニアリングから決まった壁の厚みが一つの個室の中でも変化しておりそれが開口部に現れたり、4階部分の個室には5階床を支えるメガ梁が見えたりと各個室でこの建築の全体性を感じることができる。そこが面白い。そしてそこがこの建築の最も重要な要素であろう。ただ、それがもう少し色々な形で表出してきたらなお面白い空間になり得たんじゃないかと思う。開口にしても網戸やレールなどそういった懐にある部材をもう少しスリムに収斂させた方が、個室全体としてその違いが視認しやすいし、それがその居住者の振る舞いにも影響してくると思う。もしかしたら上の窓のフレームを隠さない方がそのコントラストが明確に表出してくるのかもしれない。そういったディテールがインフラ的スケールの深層と居住者の振る舞いを左右させるヒューマンスケールの表層を架橋する重要なものだったりするのかもしれない。それぞれの居住者の集住での空間体験というのはかなり一義的で多様性の乏しいものであることは間違いない。ただそこでその建築(の全体性)を見せること感じさせることというのは、各空間をより豊かなものにするんじゃないか。その表し方というのは空間構成の仕方でも、先程述べたディテールにも還元できる話だと思う。ここの徹底こそが批判的工学主義の基盤になる部分であると思う。


そして、一向は最上階へと足を進める。いや〜テンション上がりましたまじで。風の抜ける露地空間から見える風景を見て、はっと息を呑む。これこそまさに「新スケープ」。
その階の各個室空間ものびやかになり、天井が高く開口も大きい。最後に入った、最も天井が高い個室の開口はまるで青空を切り取る額縁のよう。その開口だけが、他の開口とは全く意味の違うものになっていたように感じた。その対比が僕の中では衝撃的だった。窓というものの持つ根源的な建築言語が多様な意味を持つことを改めて実感させてくれた。


この建築は全体の空間構成として、「批判的工学主義」という強烈なコンセプトを補完してあまりあるぐらいの評価ができると思う。そしてその可能性を強く感じた。
これが「批判的工学主義の原風景」。そう強く感じた。その可能性とともに。