vol.5 建築家 岸健太氏

g862007-11-27


今回は、建築のみならずアート分野においても幅広く活躍されている建築家岸健太氏のインタビューです。建築の領域を超えたお話をお聴きすることが出来ました。

岸健太氏 profile
1969年東京生まれ。東京芸術大学美術学部建築科を卒業後、Cranbrook Academy of Art (USA) 修了。その後、シンガポールの複数の美術教育機関で指導後、1998年より日本での活動をはじめる。東京藝術大学助手を経て、近年は、建築の実務に加え、現代都市の諸問題の検証と解決を目的とする建築の実験を、様々な表現領域において展開している。2003年より『LWL (Lab. For the wonderlandscape)』を主催。

インタビュー内容

g86ーメールでは、「天気がよかったら某所で話しましょう」ってありましたが、どこだったんですか?

岸氏ー本当は天気がよかったら、近所のプールに行こうと思ってたんだ笑

g86ー爆笑

岸氏ープールで話した方が絶対面白いと思ってね 笑

山道ーそれはすごく面白いですね。笑

岸氏ーインタビューとか事務所とか会議室でやるっていう空間の常識を破って、プールサイドで人々を眺めながら。

鎌谷ーそれはいいですね!笑 これからインタビューする時にはそういうことも考えていきたいですね。オフィスの会議室とかでやると、なんだかかしこまっちゃって。

岸氏ーそうそう、形式が生まれちゃうからね。

鎌谷ー僕らは初め会議室とかあまり経験がないから、それも経験だなと考えてたんですが、何回か伺っていると、やっぱりその形式を崩したいなって。

岸氏ーそうだね。慣れになっちゃうんじゃなくて、毎回必ず新しい事をやろうとか考えないと面白くないよね。プールは本当にいいんだよね。外人墓地のすぐ下でさ、三方森に囲まれて。そこでみんな横に並んで、プールに足でもつけながらさ。笑
そうしたら世界にとって有意義な話ができるかなって。

g86 ー笑


「リアリティ」

岸氏ー今までインタビューをしてきてどうだった?

g86ーこうやってインタビューを続けてきて、意外と経営者や政治家の方でも、僕たちが考えてることと共振する部分があって、それで僕たちの考えで欠けている部分を補完できたりして、このプロジェクトをやってよかったなって思っています。また、僕らの中でも様々なことについて議論する事ができて非常に良い経験になっています。

岸氏ービジネスをするにしても、アートをするにしても1つの文化に関わる事だから、今この時代に何が起きてて、人とか街、経済というのはどんな質感になっているのか、どうしてそうなっているのかということに常に関心を持っていないと、その場しのぎ的なものしかできないんだよね。

鎌谷ー起業家の方やファシリティマネージャの方のお話をお聴きすると、実体験に基づいた経験則からお話をされていて、リアリティがあり新鮮で、非常に勉強になります。

岸氏ー僕が日本でなくアメリカ大学院に行った理由は、リアリティーをもって学びたかったからなんだ。建築を学ぶ時に、実際の現象に立ち会っているかというのが大事だと思う。日本では、都市に関する勉強を個人のまんましていることに疑問はあったね。

小林ーアメリカの大学はどういった建築教育システムを採っているのですか?

岸氏ーもちろん全てではないけど、一部の学校は好きな様にやらせるところもある。どんな表現をしたいのか、建築をどう定義するかというレベルから任されるから、つくるモノがその人の経験則やプロセスで発見したものに大きく委ねられる。そうするとその根本がどこかの引用だったりすると、説得力が極端に減ってしまう。自分で発見して自分で作って自分でそれに乗っかって、かつての建築でそれを裏付けて。だから「建築とはこうだ」っていう、立場に立っていないから、逆にすごくリアリズムを追求する。何かを作る時に、なぜその素材なのか、といったところまで厳密に考える。

みんなもそうだと思うけど、建築を勉強していると当然建築模型は作るよね。でもその模型は、現実的に作れないから便宜的に作ったものにすぎない。その便宜的なもののはずなのに、どこかで、しかたないからコレを使っているように思う。自動的にスチレンボードを使ったり、本当はガラスなのに、プラ板を使ったり。そのギャップを意識して使っていれば良いけど、それを意識せず、便宜的で、投げやり、さらにはその質の違いすら気付かずに自動化のプロセスの様にしている人が極端に多い。

そういうものって図面とか模型とかだけじゃなくて、他の人に建築を語る時にもそういうものが関わってくると思う、だから彼らにだけ流通する言葉を使ったりする。もっとリアルな言葉を使って良い。例えば小学生中学生に分かる様な言葉をね。

鎌谷ーそのことについては僕もそう思います。建築の世界だけで通用する言語だけで作り、語る、今の日本建築界の現状は僕たちも非常に懐疑的に見てます。建築家は建築家の評価を軸に作品を作り、閉塞的な言語を繋ぎ合わせた論文を書く。社会に開かれたように見えて乖離している、そういう自己矛盾に陥っている現在の建築界の状況に常に危機感を感じています。


「タイムレス」

岸氏ー最近、「今」っていう瞬間にしか生きてない人間のあり方を書いたんだ。この写真を見るとすごく昔の風景に見えるじゃない。でもこれはシリコンバレーの郊外の住宅地で、世界の先端のIT企業の金持ちたちが住んでるところなんだ。過去に対するノスタルジアっていうのは、新しいものを作る時に絶対生じるんだけど。でもそこには未来っていうのはなかったりする。その瞬間だけにしか生きていない人間像が出てきたりするんだよね。たぶんこういうところでは、奥さんたちがエクササイズに夢中になって、美容とかに関心持ってると思うんだけど、まさに今を維持するためにやってる。企業の活動もそうでしょ、今現在、いかにやっていくかっていう。そういう刹那的な今だけをっていうのはどういうことなのかなって思って。それをタイムレスっていう無時間っていう言葉を使ったんだけど、今いろんな分野で無時間っていうものが問題視されている。

例えば内田樹さんの「下流指向」って聞いた事ある?今子供たちって優秀な消費者として鍛え上げられてる。学級崩壊とかそういう問題とかって、教育制度の成れの果てに起こったのではなくて、むしろ自分たちが日々体験しているものを買うとか、消費者としての活動がそういうのを生んでる。子供たちっていうのは、一消費者として積極的に満たされない学校のストレスに対して、積極的に馬鹿になろうとしたり、積極的に落ちこぼれようとしたり、アンチを提案したり。だから、先生たちを値踏みしているんだよね。「これを勉強すると何が有るんですか。」という質問を先生たちにしたり。教育ってそれに対して応えられる者ではない。でもそれで応えられなかったりすると、消費者として反乱を起こしたり、一生懸命我慢して座ってるんだから、その分こうさせて欲しいって立ち上がったり。

その時にその、消費者として「0」の時間って言うのが身体に染み付いちゃってる。ものを買うって「お金を払う」⇔「手に入る」っていうのは、「0」の関係でしょ。例えば農業とかは違うよね。じっくり時間をかけて育てても、作物になるか、枯れてしまうかわからない。そこにはものすごく時間がかかるんだけど、教育って言うのもすごく時間がかかる。言語でも、ある言葉を覚えるにしてもそれが何になるかを考える事すら出来ない。

鎌谷ーそういう動物的な消費行動というのが、最近いろんな分野で取りだたされていて、それが郊外のイオン都市のような動物的な郊外を促しているといわれていますよね。

岸氏ーすごく客観的に分析されていて面白いよね。時間がかかるって言う考えで行くと、都市を造るって本来時間がかかるものだし、建築自体本来そういう性質を持っているものなんだけど、今のその経済的な効率とか、計画性の効率とかって、いかに時間を「0」にするかっていうものを目指しているから、多分同じような事が起きているんじゃないかな。


「建築家がやるべきこと」

岸氏ーバックミンスター・フラーは、建築家が持っている包括的な技術というのは大事だって既に3、40年前言っている。各分野では専門分化を繰り返してきて、それが包括的にどうなっているのか、全体的、包括的、統合的にものを考えられる人はなかなかいない。でもデザインだとか建築っていうのは、特にその力が強い。だから本当はその分野がもっと頑張らないといけない。って、彼は書いている。

例えば自分が、ネットワークとかコラボレーションとかワークショップと言う形式を取っているのも、同じ考え方で、建築家一人の経験値じゃなくて、みんながインタビューしている様に、みんなのリアルな経験値を包括していくためにも、1つの制作手法として、コラボレーションとかネットワークとかを考えているんだよね。

山道ー建築家が持つ構築力ってすごいと思うんですけど、クライアントからの依頼をアトリエにこもってもくもくと設計するだけじゃなくて、それ以上に建築家はもっと包括的な活動が出来ると思うんです。けどあまりそういった活動をしている人は少ないんですが、岸さんはすごく活動的ですよね。他の建築家は建築家の持つ構築力っていうのをもっと発揮できるということを知らないんじゃないかなと思っています。

岸氏ー建築家はデザインなんてしなくてもいいんじゃないかなって思ったりします。笑 例えば1つの雑誌を作るとか、そういう何かをまとめたりするところに能力を発揮できたりすると思う。設計でも大きいものになってくると、それは編集する能力が大事になってくるからね。

鎌谷ーSONYの豊島弘之さんというファシリティーマネージャーの方に以前お話を伺ったのですが、その方はプロジェクトのフェイズゼロの企画段階から、経営効率の面、デザインの面などに全て関わってるんです。その方が携わったSONYの新本社を見学させていただいたんですが、デザインの面、設備の面、効率の面等どの視点からも非常に高度な解を打ち出されていて非常に感動しました。

岸氏ーだからってその人がデザイン専門ではなくて、建築家でもないんでしょ?

鎌谷ーはい。

岸氏ーそれってめちゃくちゃ建築家の仕事だよね。プロジェクトマネージャーとしての建築家だね。建築家の磯崎新さんが昔そういうことを書いて、建築家はプロジェクトマネージャーたりえた方がいいと言っていたね。

山道ー『私たちが住みたい都市』という本で、宮台真治さんは「建築は表層の遊戯にすぎない」と否定しているんですね。それに対して、磯崎さんは、これからの時代の建築家は、設計する場面ではない場所にも現れてきて、建物を造っていないけど、建築家である時代が来るということをおっしゃっていました。それにすごく共感が持てて、もっと構築力を発揮できる場所があると思うんです。

岸氏ーそれは本当に大賛成の考え。自分が学生の頃は磯崎さんが一番HOTな時期で、磯崎さんの本を読みまくってて、4年間アトリエに通っていたんだよね。その影響も少しは受けているのかもしれない。中で仕事しながら、スタッフたちに磯崎新はどういうことを考えているのかを聞いたり、そのころ出た磯崎さんの本を読んで、この人は建築の未来をすごく開いて見ているいるんだなって思ったことを思い出すよ。



「ワークショップの意義」

鎌谷ー岸さんは今までワークショップをはじめ、色々な事をされてきたと思うんですが、僕はワークショップのメリットと同時にデメリットを感じています。服従と言う状況が生まれたり、透明性を追求して行くと、デザイナーとしての作家性が失われたり、その二つの両立がワークショップの重要なことだと思いますが、そういう意味でワークショップの意義をどうお考えですか?

岸氏ーワークショップでどこまで辿り着きたいかによるんだけど、1つ有効だと思うのは情報収集だね。ワークショップって一見何かをつくるために情報を出し合っている様に思えるんだけど、実はそこでかわされる会話とか、それぞれの持つ経験値とかって、膨大なデータベースになっているんだよね。そういう意味ですごく有効だと思う。インタビューとか文字を書くとかっていう形式を飛び越えて、自由に自分の経験をみせる事ができるから、そういった意味でデータ収集として有効だと思うんだよね。

鎌谷ーその次のフェイズに行く時に、建築家はどこまで関わっていきますか?

岸氏ーそうだね。ものをつくるワークショップだと難しくなるよね。ただ、ワークショップって、最後までイーブンな関係で辿り着かないといけないかっていうと、そうではないんだよね。データが集まれば、今度はデータを読める人がやってきて、それに基づいてモノをつくってもいいわけだし。でもまずはワークショップの1つの目的としては、今まで読めなかった、あるいは読もうとしても分からなかったデータを集めるっていうふうに考えて良いんじゃないかな。一度仕事を一緒にした事がある建築家のラウル・ブンショーテンは、ワークショップの内容を直接デザインに結びつけようとはしていなかった。

鎌谷ーデータベースとしてですか。

岸氏ーそう、データベースとして。例えば都市であれば、なんとか白書というのが、犯罪であったり経済であったり産業であったり、色々あるよね?そういう数値化できるデータに基づいて、通常、都市というのは考えられたり計画されたりしてるんだけど、それはいかに効率よく都市を取り扱うかっていうマニュアルになっている。

一方でそれだけじゃない。市民向けワークショップをしたり、インタビューをしたり、色々な市民レベルの声を集めようとしてるんだけど、あんまり数値化されたデータと変わらないような気がする。質問の内容とか、質問の形式とかが決まってしまっているからある枠を出ない。

ラウルがやっているのはワークショップそのものをデザインしてしまって、その場自体をデザインしている。もうすでにそれも建築だよね。壁とか柱なんか無いけども、1つの空間、場をデザインすることを提案して、その場で個人と個人が参加して自由に振る舞っていく事で、例えば個人のものすごくパーソナルなデータを、人に伝わるような形式で現していって、それをどんどんまとめていくとどうなるか、という実験をしている。ワークショップのひとつの効果はシェアする事。ワークショップ抜きでそういうデータを集めるのは難しいと思う。インタビューじゃ集まって来ないと思う。

ただワークショップをやっていてこれからの課題だと思うのは、集まったデータを使えるものにしなければいけないということだね。となると集まった個人データ、つまり個人の感覚とか、思いとか、そういうような非常に不確かなものをどうデータベースにして、どういうふうに閲覧可能なものにすべきかっていうのは、むしろこれから考えていくべき面白いことだと思う。そこで、もしかしたらテクノロジーなのかもしれないし、インターフェイスのデザインとか、そういうものが有効に働くかもしれないし、それこそインターネットの使い方がより高度化する可能性があるかもしれない。ワークショップからそいういうところまでいけるともっと繋がってくる。

それがデータとして閲覧可能なものになってはじめて、これをデザインにどう使うかっていう議論になってもいいと思う。それぐらい時間がかかってもいいと思うんだよね。それが結果に直結しうるという風に見えてしまうと、学校の授業の様に、その結果はデザインになるの?という風な議論になってしまう。それとは切り離して考えて良いと思う。ワークショップを続けていって、これはどうなるのかなぁ。っていう風に考えるけど、それは優れた建築をつくれるかどうかとは別の議論だと思うんだよね。




「ユニット」

山道ーコミュニケーションのデザインと、空間のデザインというのは岸さんの中ではどう橋渡しされるんですか?

岸氏ーそれはすごく難しいね。建築の勉強をはじめたときから、僕はユニットというのにすごく興味があったんだよね。ユニットって集まって均質な空間を作るっていうよりも、むしろユニットであるが故におこる様々な可能性というのに関心があるんだ。

ユニットって元々あるルール、例えば重力のような制限無くあるものの中で生まれる考え方で、宇宙空間の中で一番可能になるものなんだけど、実際自分たちが生きている空間では、重力があったり、風があったり、それを見ている人間の感情というものがあったり。いろんな意味で、それに対して力が加わっている。そう考えるとユニットそのもの自体が揺らぎをおこすような事がある。変形可能なものであったり、壊れてしまうものとか、そういうようなユニットの可能性というのを考えているんだ。それはワークショップをやるときも、人と人とをつなげるときはどうしようかと考える時の参考になっている。

展覧会の場合は、建築よりもすごくタイムレスであると思う。限られた時間の中で、より効果的にモノを魅せなければいけないというスタンスだから。逆に言うと自分はものをつくる人間として、より多くの制限、制約とコミュニケーションの力っていうものを考えている。

例えば今回のOZONEの展覧会の場合だと、材料とか時間とか。OZONEの展覧会は数ヶ月あるのに、与えられた時間は3週間無かったんだ。笑 そこには年末年始をはさんでるから、材料を手配できないかもしれないっていう現実的な問題とかもあったんだよね。それを乗り越えるために、ユニットと対話をしていかなければいけない。

モノとモノとが、どう組み合わさるかっていうのにものすごく興味があって、組織図をつくるとか、関係図をつくるとか。例えば一枚のレンガの壁があった時に、ぼんやりと見ていると、それは均質な一枚の壁でしか無いんだけど、それぞれかかってる負荷が違ったりとか、支えてるものが違ったりするから、図のあらわし方によってはもっと濃密な情報を入れれると思うんだよね。同じ様にして、豊かなユニットっていうのをつくれるかなって思うんだよね。



「建築家の考えるサステイナビリティ」

小林ー先ほどのワークショップの話で思ったのですが、ワークショプって通常サステイナビリティーというのを考えないと思うんです。単発なので。でも先ほどのお話の中では、どう活かしていくかというプロセスに乗っけるという段階で、情報を集める段階とか読む段階という風に考えると、サステイナビリティーを考えるのが重要なのかなと思います。
企業というのはサステイナビリティーを考えるじゃないですか。良く批判される「短期的な利益」を求めるというのも、実はそのサステイナビリティーのためで、次の月の給料を払わなければ続けられないという状況です。サステイナビリティーと責任がくっついているから、短期的な利益をみてしまう部分というのは出てきてしまう。
でも逆に建築家は基本的に自己完結型だから、社会的なサステイナビリティーを考えるというよりも、私的になったりすることがある。社会の事を言っているけど、それを実現する事に責任を負っていなくて、行動と結びついていない人がいると思う。

岸氏ーそうだね。建築家というのは企業と違う風に時間というものを考えることができる。新しいサステイナビリティーというのを考えられるといいよね。

小林ー建築家っていった時に、1人の生命の長さと言うのは限られています。もっと理想というものを共有していけば、建築か誰かがやったというよりは、チームの継続した長さで何かを為そうと思えばもっとできることは増えるのではないかと思います。そのためにも、もっとわかりやすい形で理念というものを打ち出していくべきだと思うんです。

岸氏ーうん。レム・コールハースとかダニエル・リベスキンドがそうだけど、教育がやはり重要だね。ある優れた先生が自分のスタジオユニットを持つことで、作品やデザインが代々受け継がれていきながら、その理念というものもきちんと残っていって、世界との関わり方とかね。それは一人ではなし得ない事だと思う。だから、教育をもう一度考え直して、デザインし直していくと、そういうものが生まれるかもしれないね。時間はかかるけど、持続的なアイディアのつかい方みたいなものができてくるかもしれない、

小林ーまた、教育的なものとしては、場というのもすごく大事で、MOMAとかは、デザインをする人に取っては凄く良い場になっている。しかも誰がやっているかをだれも意識しないで、その場があるという状態がすごく良いと思います。

岸氏ー今やっているプロジェクトでも場というのは考えていて、具体的な場所を持ったりどこかに所属したりするのではなくて、ネットワーク上とかでどういう形か分からないけど、研究組織を作ってしまおうという話もある。こういう視点で都市と関わることを持続的に考えていかなければいけないと思っていて、そこで場をどうつくるかっていう議論を今しているところ。学校の一部に組み込んでもらうのが良いのか、企業に買い取ってもらった方が良いのか、そうではなくて全くバーチャルな1つの場としてあったほうがいいのか。そういう風にどういう形式が一番良いのかを考えている。


「今取り組んでるプロジェクト『クライシスデザインネットワーク』について」

鎌谷ーこのプロジェクトの一番の目的は何ですか?

岸氏ー一番の目的は、ネットワークの構築だね。かつ、クライシスデザインネットワークが世界にとって有効である事を証明する事だね。まず、こういう視点で都市を見ていて、建築家、デザイナーがそれぞれ進化することを証明して、それがアジアの都市にとって、世界にとってどうインパクトがあるのか、ということ話したいと思っている。

山道ー最終的にはデザインに結びつけようとしているのですか?

岸氏ーそうだね。建築デザインというのが、問題提起から始まって、問題解決までできる分野である事を証明したいと思っている。なぜかっていうと建築ってもともと問題解決の分野で、アートっていうのは問題提起の分野。つまり、アートって問いかける事はできるけれども問題解決はできない。逆に建築は、問題提起はできないけど、ある問題を解決する事はできる。そういう乖離状態が非常に不都合で、不自由だから、建築も遠慮せずに問いかけるところから始めて、解決までナビゲートしていきたいと思う。例えば携帯電話を使ったコミュニケーションに何かの問題があるのではないかとした時に、デザインとして何ができるのかを考える。携帯の形を変えれば良いのか、コンテンツを変えれば良いのか、或いは携帯を使う場としての都市の何かのデザインを変えれば良いのか、衣服を変えれば良いのか。それに対する解決を、デザイナーとか色々な知識を持っている人とディスカッションをして、どんどん創りあげていく。そしてそこに行政側の人がいれば、それは行政の対応として可能な事なのかとか、ジャーナリストはそれをどう書くのかとか、という問いかけもできる。またある時はデザイナーとしてその解決になるものをつくる事もある。

山道ーかなり包括的ですね。

岸氏ーそうだね。でもこういうのって儲かんないんだよね。笑

一同ー笑



「最後に」

岸氏ーみんなの、リアルな経験にもとづく正確な知識が薄まっていく知識の中で建築や都市を語る危険性という主張はすごくい良いと思う。今どこにいっても、
学校の学生に教えているのは、ちゃんと勉強しないで社会論的なことを発言する学生が多いでしょ?関心を持った事をどんどん発言する事はすごくい良いと思うんだけど、ある程度ちゃんとした話に踏み込んでいっても、裏付けがあやふやな話をするのは、危険だと思う。印象で語る事を否定はしないけど、やっぱり論文を書いたりとかリサーチの専門家が各レベルでものを書かないと、印象だけで都市を語るって言う危険なところに踏み込んでしまうね。印象だけで語るんだったら、建築家って言う専門家になる必要はない。建築家って言うのは、全部を知る事は無理だけど、可能な限り、広く深く知るべきだと思っている。包括的な人間になるべきであればあるほどなおさら。広く浅くではなくて、広く深くっていう限界に挑戦するべきだと思う。そういう意味では、もっと勉強していくべきであるし、そう考えれば考えるほど、逆に、自分が勉強不足だって感じるし、それが向上心にも結びつく。逆に、ある分野ではこれ以上知る事はできないだろうから、じゃあ、こういう分野の人と連携をとろうとか思う。ある程度深く入る事の大事さを知らないと、自分を磨く事も、人と組んでいく事も発想としては湧いて来ないよね。

山道ー印象だけじゃなく裏付けがあって語った方が良いっておっしゃられましたが、今まで自分は割と真面目に本などを読んできたんですが、この何回かのインタビューで、東京とか都市とか建築に対する印象が変わってしまったので、机の上での勉強とか議論というのは結構もろいのかなと思っています。

鎌谷ー僕らもインタビューというのは一プロジェクトとしてとらえていて、このインタビューから得られた考えや実践経験を活かして、ワークショップとか座談会とか、そういうさまざまなデザインの場をつくっていきたいと思っています。また、今はブログを使って発信しているのですが、目標としてはwikiのようなシステムを使う事で、自由参加型の場をつくりたいと考えています。

岸氏ーそれは面白いね。ぜひ頑張って下さい。