建築夜学校レポート


昨日、建築会館で行われた建築夜学校という講演会を聴講してきましたg86の鎌谷です。

「グローバル社会における『建築的思考』の可能性」という大テーマで
2夜に渡って繰り広げられる。今回のテーマは「タワーマンション」。
次回は「ショッピングセンター」

出演者は迫慶一郎氏、山梨知彦氏、北 典夫氏の建築家メンバーに加え、団地萌えで有名な大山 顕氏、コメンテーターに東浩紀氏、モデレーターに南後由和氏、藤村龍至氏という今回のテーマで議論するにふさわしすぎるメンバー。



g86の山道も自身のブログ(shoojyoa)で今回のレポートを今論文で研究している「ショッピングセンター」と絡めて書いています。

またDESIGNHUB主催の中島さんもブログで非常に臨場感のあるレポートを書いています。

東工大塚本研の宮城島君も自身のブログ(archi theater)で「サステナビリティ」を軸にレポートを書いています。

東工大3年の沼野井君もブログCity_scapeで「タワーマンション不要説」を唱えながら書いています。

日本大学建築学科2年の中井君も自身のブログで「豊かな“次”」を軸にに書いています。


僕は、まず今回の講演会の感想、そして僕の考えを「批判的工学主義」「批判的表層主義」という2部構成で書いてみました。笑

「批判的工学主義」
大体の議論の流れは、タワーマンション等の経済原理の力が圧倒的に強い性格を持つ建築に対して、建築家はいかなるスタンスを保ちうるか。そのような常にフローしていく激流の中で、有効に働く建築理論はその土壌で生まれ得るのか、ということだったように思う。

それぞれのスタイルや手段は三者三様であったが、向かっている方向は大体ぶれなく統一していたように思う。

まず、現在のタワーマンション、ショッピングセンター事情を具体的に述べてみる。
以前、大手ゼネコンの設計部長の方にお話を伺ったことがあった。今回の議論と繋がる話で興味深かったのは、集合住宅を設計する際にこちら側の建築組がデザインできる範囲はほぼ限定されていて、ファサードのデザインやディテールスケールの操作しかできない、という話だった。各個室の間取りについてはディベロッパーが膨大なアンケートを居住者からとっていて、そこから導き出された「一般の人が最も住みたいと思う」間取りを導き出しているそうだ。それをそれぞれのディベロッパーが独自に導き出し、それが他社との差別化を図る上で重要なポイントになっているらしい。ショッピングセンターについても、動線計画、店舗配置等はもう定まっていて、ファサードのデザインが精一杯ということだそうだ。(イオンを思い浮かべてみると分かりやすい。ほぼ同じ規模で、メインの動線空間から直接店舗という均質な隣接関係で、それぞれの店舗でファサードにアイコニックなオブジェが付加されている。)

それがやはり現状だそうだ。それは経済原理から考えれば最も合理的で最適解である。「一般人が住みたい」という部屋はもちろん売れるし、投資対象として購入する客に対しても、明確に高価値を提示できる。

しかし今の都市部は、そういった同じ経済論理で立ち上がった均質なタワーマンションで風景は飽和してきている。

そんな状況の中、今回の建築の可能性を見出す白熱した議論は非常に興味深かった。

迫さんは北京を中心にタワーマンション等の大規模建築を設計しているのだが、それぞれの建築に対して、断片化、発散、ふれ等の建築操作を明確に提示し、街の深層に流れる極大スケールのコンテクストを読み込み、マンションの住戸の配置パラメータを設定し、そこから最適解を結んでいくなど、部分と全体でフィードバックを繰り返しながら設計を進めているのが興味深かった。

「日本の建築では周辺のコンテクストを読み込みながら作ることが多いが、中国では、今後の変化をいかに導いていくのかということが重要になる」という。
その思想が実際に建ち上がってくる建築に対して有効に働くかどうかは定かではないが、それが設計するスタンスとしてはっきり提示することは中国という日本より格段に経済の速度が早く、スケールの小さなコンテクストがどんどん剥落していくような激流の中で設計していく上では非常に重要なことだと思う。
「強い建築」をつくり続けたいという言葉にそれが表れている気がする。言い古されたような言葉だが、中国で戦い続けている迫さんが言うこの言葉には、強い説得力を感じる。

迫さんの建築やスタンスは以前からすごく興味をもっていたので、僕の中で今一番お会いしたい方です。

あと山梨さんの設計したものも非常に興味深かった。タワーマンションにとって重要な価値である「眺望」に着目して、それを中心に設計したワールドシティタワーズはL字型や矩形等のボリューム群が眺望を考慮して比較的複雑な配置になっている。それは経済価値という大きな流れをうまく見方につけて、コピペでできているような従来の均質なタワーマンションとは空間的に一線を画している。このスタンスはまさに藤村龍至さんと同じ。批判的工学主義である。


「批判的表層主義」

その他色々興味深いお話や作品があったのだが、全体を通して、建築の持つ深層構造にいかにアプローチして、その構造を変質させるかということだったように思う。

しかし、ここで僕は少し違う目線で見てみたい。
藤村龍至氏の提唱する批判的工学主義の主軸は上に述べたことであるのだが、表層と深層を対立軸とするなら、表層だけの操作に留まらず、深層部にいかにアプローチし、いかに改変し得るかが重要であることを唱っている。

しかし今、僕は表層の重要性、可能性というものに着目したい。
迫さんの建築ではファサードや外形ボリュームなどの表層部が非常に特徴的であるが、それはかなり重要なファクターになっている、中国のスケールアウトした街の中で、それは異彩を放っている。コンテクストや深層のシステムを解釈して出てきたデザインではなく、その建築自身が表層を介して情報をアウトプットし、コンテクストを生み出そうとしている。迫さんの建築作品は日本にある建築と違う印象を受けるのはやはりそこがポイントだからだと思う。

つまり建築が街とコミュニケーションをとる手段として、やはり表層というのは非常に重要なのである。日本の建築作品を見慣れている人からすれば、迫さんのデザインはクールに見えないかもしれない。そういう人をたまに見かける。しかし、そういう人はおそらく建築言語が偏狭なのだろう。建築をより広義に解釈しようとする意識がある人からすれば、その建築の可能性を理解できるはずだ。

また野村不動産の最近建てたマンションで壁面にマドンナがプリントされたものがある。そのデザインは決して評価できないが、建築において表層の持つ価値が非常に重要であることを表すものとなっている。

僕は、表層のデザインに迎合している訳でもない、否定しているつもりも全くない。僕は、批判的に表層を捉えて、その意味を捉え直す「批判的表層主義」を唱ってみようと思う。笑

以前g86のブログで紹介した、「graffiti projection」というゲリラインスタレーションはまさに表層の意味を解釈し直そうという実験的作品である。

http://jp.youtube.com/watch?v=0v6f4PBLE_o



日中は何の変哲もない、周りの建物に埋もれたアノニマスな建築が、夜になると、そこがテンポラリーなランドマークとなったり、夜使われていない部屋の中にガラス窓を通して、照射することで空間をジャックし空間の奥行きを視覚的に操作したり、などその建物、都市の持つ慣習的なイメージを一旦相対化し、そこに新たな意味を付加してきた。

このようなプロジェクションを同じようにしてきた有名な作家でクシュシトフ・ウディチコという人がいることを最近知った。(今はMITの建築コースで教授をしている。)その人の作品は、凱旋門や、原爆ドームなど、政治や権力等を想起させるメッセージ性の強い有名な建物に、ガスマスクをつけた人やミサイルなどのメッセージ性の強いイメージを照射した作品を発表している。その作品はその建築のもつ意味を利用し、自身の伝えたいメッセージを相乗的に強化している。

そのウディチコの作品を見て、僕たちの作品の位置付けがはっきりしたのだが、僕たちのこの作品とウディチコとの決定的な違いは、キャンバスとなる建築、作品その両者ともメッセージ性を消しているということである。権力などを主張する必要がない、資本のコンベアーに自動的にのって作られた街の建築に対して、僕が撮りためた映像を、ぶつ切りにして意味を消す様に編集し直した映像を流すことでこの作品は成立している。

慣習的な物事、事象を表層を介して一旦解体することで、そこに新たな風を吹き込もうとしているのだ。

そして、今g86が自由が丘でインスタレーションをしている作品も同じように表層を扱っている。

いつもは銀行のかなりマッシブなモノトーンの壁なのだが、そこにQRコードを壁いっぱいに貼付け、そこから各アーティストの作品に飛ぶような仕掛けを作った。壁に彩りを添え、行き交う人々の目を楽しませるとともに、サイバー上でネットワークを作り上げ、分厚い壁に無限の奥行きを与えた。深層のシステムとして分厚いマッスな壁を必要とする銀行の壁というものを見方につけて、その意味を解釈しなおしそれを大きなキャンバスとして利用した。まさに「批判的表層主義」である。

このように表層というものの重要性、可能性を僕たちの作品を通して、説明してきたが、表層には新しい建築言語が多分に落ちている。プロジェクターと建築、QRコードと建築、その組み合わせは表層の豊かなフィールドがあるが故に成立する現象である。


「批判的構造主義」は深層のシステムから表層へと建築を作っていくが、
「批判的表層主義」は表層を利用して深層へと介入していくものである。


ものすごくまとまっていない文章を今までつらつらと思いのたけを書いてきましたが、少しでも僕の考えていることが伝わればなと思います。僕の考えてることや作品について何か指摘や質問がございましたら、いつでもご連絡下さい。(junbuilt@gmail.com