明けましておめでとうございます!g86Londonの澤田です。
AAschoolでの最近のドローイングプロジェクトをアップします。
アーキグラム以降、ロンドンでは、ドローイングがしばしば実際の建造物を離れてスタンドアローンで「建築」として存在してきたあるいは認められてきたアンビルドの土壌があり、そしてまたその中でザハ・ハディドのようにかつてペーパーアーキテクトとして名を馳せていた建築家が年月を経て実作を次々建てている状況があります。単純にザハやリベスキンドのドローイングを建築をつくるプロセスとして考えるのは簡単ですが、メディアとしての建築としてドローイング自体に実作とは違う、時にそれ以上の魅力があるのも事実だと思います。

このプロジェクトは何かをデザインするためのドローイングではなく、単純に目の前にある掃除機をどうドローイングで表現するかというものだったのですが、ドローイングの存在意義と自分の方向性を深く考えさせられたプロジェクトでした。

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まず掃除機の寸法を計って3DのCGをつくり解体した後、それをレイザーで彫ったりカットした上に荒っぽくペイントしました。
コンピュータードローイングにいかに固有価値があるっぽいフィジカルなクオリティを加えるか(捏造するか)を目指したつもりです。
プロジェクト中に何人か建築家の方がやってきてドローイングに関してレクチャー&ディスカッションを行なったのですが、その中で幾度も手描きとCGの対立の議論があって、その議論自体に半ば挑発的に答える形で色んなツールを混用する手法をとりました。結果的に面白いコントラストができたと思います。 

実際ある掃除機を描いたので、このドローイングではロジックだとかデザイン上の意図だとかは一切なく、ただただアホになって過剰に表層のみをブラストしました。でもそうやってアホになったにも関わらず、描いてる内に例えば「フラグメンテーション」だとか「空間のサーフェースの剥離」だとか言葉にしてもほとんど意味をなさないクオリティなんだけれど自分の中にそういう質的な言語が生まれてきて、過剰な表層から深層が捏造されていくプロセスを体感できました。建築をドローイングという技術的あるいは経済的な制約から解放して情報だけに還元された偽りの世界で発展させることで、その独自のナラティブな状況下での一貫性を持った独自の言語を生み出すことを許してきたのが要するにアンビルドの本質なのではないかと思いました。

むしろ今はそういう傾向はAAよりもバートレットの方が校風としては顕著ですが、山道のClassroom of AliceQR CODE EXHIBITIONのように深層のシステム、アーキテクチャーを設計していくのとは全く逆のアプローチ、つまりある意味動物的に表層の破壊力でがんがん深層を従えていくのが、ひとつのロンドン流だと思う。