vol.3 建築写真家 小川重雄氏 

g862007-10-03

今回は、建築写真家として活躍していらっしゃる小川重雄氏に取材しました。建築写真家という作り手とも使い手とも少し違った特殊な視点から非常に興味深いお話を聞くことができました。

小川重雄氏profile
写真家。1958年東京生まれ。80年、日本大学芸術学部写真学科卒。86年、株式会社新建築社入社。91年より写真部部長。国内外の建築作品を撮影し、現在に至る。2007年のリスボン建築トリエンナーレには、個人として参加。


インタビュー内容

「建築写真家ということ」
g86—建築写真家になられたきっかけを聞かせてください。
小川氏—小学校の頃は天文少年だったんです。あの頃はアポロが月面着陸する直前で世界中で天文ブームでした。僕も兄貴と天体望遠鏡を買って星とか月とか眺めてたんです。それから天文写真を撮るようになって月とか北極星に向けて三脚立てて軌跡を撮ったりしてました。満月がだんだん欠けていってまた満ちていくっていう月食の写真を一枚のフィルムに多重録画したんだけど、それを理科の先生に見せたら無条件に理科の成績が5になりましたよ笑。
一同—爆笑。
小川氏—よくやった!とか言ってくれて笑。だから最初は星ありきだったんですよ。誠文堂新光社から出てた「天文ガイド別冊天文写真入門」かな?っていう本を買ってさ。まず「ニコンF」を買いましょうって書いてあって。その当時のニコンFは標準レンズ付きで5万いくらですよ。で大卒の初任給が3万いくらの時代ですよね。でもその頃の一眼レフって言ったら素のカメラで露出も自分で決めて、ピントも自分で合わせて電子的なメカ、ゼロ笑。鉄とガラスの塊ですよ。結局毎月500円のお小遣いしか貰ってなかった小学生のガキがそんなの買えるわけないよね笑。
g86−笑。
小川氏—だから親父が持ってたオリンパスのカメラで撮ってました。自分で貯金を貯めてニコマートっていうニコンFの下のレベルのやつをやっと買えたのが中学二年で三年かかりました。それからはもう星だけじゃなく風景とか撮るようになって。今度は山の写真が好きになりました。高校は山岳部に入って。だから僕は新建築に入って初めて写真部に入りました笑。
鎌谷—建築に興味を持ったきっかけは?
小川氏—星がきっかけで写真に目覚めて、山の写真にシフトする時期もあったけど、中学2年のころの新宿西口の淀橋浄水所跡地にボコボコ高層ビルが建ち始めたのね。京王プラザが最初で、あれは丁度僕がカメラを取り始めた頃で、さっき言ったニコマートのカメラにワイドレンズ付けて白黒フィルム入れてオレンジフィルターっていうのをかけるとコントラストが強調されて空が真っ黒に写るのよ。雲が写りこむ新宿の三井ビルとかも撮ってたんですよ。そういうことやってると高層ビルっていろいろあって面白いなと思い始めて、ビルを単体として撮るだけじゃなくて郡として造形写真として撮ってましたね。
鎌谷—今でも撮りますか?
小川氏—やらない笑。仕事では撮りますけどね。それから僕は日大の芸術学部に入ったんだけども、山の写真をやるつもりでいたんですよ。日大の芸術学部写真学科に建築写真を教える授業があるんですね。そこの先生が渡辺義雄という建築写真家の第一人者の方で、伊勢神宮を1953年に史上初めて撮った人なんです。それまでは御神体で聖域だから撮っちゃいけなかったんだけども。太平洋戦争が終わって、特攻とかハラキリとかかなりネガティブなイメージが海外に広がってしまって、日本の神道が誤解されてるっていう危惧があったので毎日新聞かなんかが日本の文化を正しく海外に伝えようという企画を考えたんですよ。既に建築写真家の第一人者として認められていた渡辺義雄先生に伊勢神宮を撮らせて出版して海外に向けて発信しようと伊勢神宮の管轄である宮内庁を口説いたんですよ。式年遷宮で新しい建物が出来て古い建物から三種の神器を移した瞬間に御社が伊勢神宮として機能しだすんだけどその神器を持ち込む直前ならいわゆる普通の木造建築だからそれを撮るならいいと。
g86−なるほど。
小川氏—外観だけ撮ってるぶんには堂々たる伊勢神宮ですからね。そういう特別解釈で撮影が可能になったと。で、三年になって初めて渡辺義雄先生の授業が受けられました。大学が貸してくれる4×5"判ビューカメラ担いで東京の街中歩き回って、もうね、すっごいアバウトな課題なのよ笑。“建物全景”を撮ってきなさいとか笑。だからどういう建築を撮ったらいいかっていうのを全部自分で考えなきゃいけない。で4×5"判ビューカメラが重いからまずロケハンしたんですよ。まず電信柱とか汚い看板が引っかかるところは避けた。それで我々学生はすごい広角レンズで格好良く撮る技術が無いから充分な引きがとれる建築は無いだろうかと、しかも格好いいやつ。最初はシーザーペリが設計したアメリカ大使館いいなぁと思ったんですよ。壁面とかガラスのプロポーションとか凄い格好良かったんだけど。でも勝手に撮ったら逮捕されちゃうなと思ってそれはやめたの。で村野藤吾さんの設計した大手町にある日本興業銀行の本店っていう建物でした。かなり細長い敷地で末端がクサビ型というか三角形になっていて。その写真を課題として提出したら渡辺先生が90点つけてくれて笑。その授業が終わって四年になった4月に渡辺先生から呼び出しがあって「建築写真のアシスタントをやりませんか?」って。渡辺先生のアシスタントが出来るんだ!って喜んだら違う人を紹介されて笑。個人の建築写真家のアシスタントとしてアルバイトに行き始めました。夏休みに入ってそろそろ就職活動をやらなきゃと思っていたんですよ。僕はNHKのスチールカメラマンになりたかったの。出版局とかあるし。あとは朝日新聞の出版局とか。自然風景の写真とかが撮れる出版社を狙おうと思っていたんだけど。そしたら僕がアシスタントやっていた先生から「ウチにそのまま就職しなさい」って言われて笑。僕は山の写真を卒業制作でやっていたんだけど「山岳写真は趣味として続けてだな、仕事で建築写真が撮れるようになると生活は出来るぞ」って言われて笑。で結局そのまま就職しちゃったんですよ。建築そのものは好きだったけど、建築写真って普通の写真と比べてお決まりが多くて行儀良すぎるんですよ。自分でアングルとか自由に決められない気がしてた。だけど僕がアシスタントをやっていた先生の写真で何枚かは凄くハっとするような造形的な非常にシャープな写真があって、こういう写真だったら職業にしてもかなりやりがいがあるんじゃないかと思いました。それでこの業界に入ったという感じです。五年間より早く辞めると何も身につかないから五年はいなさいといわれて、きっかり五年で辞めました笑。それからいくつかの会社を経て新建築に入って。皆さん86年生まれですよね?
g86−はい。
小川氏—僕86年に新建築に入ったんですよ笑。縁がありますね笑。
鎌谷—さきほど、ハっとした写真は造形的な写真だったとおっしゃられましたが、建築写真を撮る時はやはり建築を造形的な観点から捉えてますか?
小川氏—僕がそのときにハっとした写真というのは坂倉事務所の自社ビルだったんだけど、Y字の構図だったんだけど真ん中にブリッジが飛んでて右側がシャドウで黒くなってて反対側がレンガタイルがピューっと貼ってあってカキンと光が当たっていて、空は真っ青だったんですよ。床は左側は明るい茶色のタイルが張ってあって。この光と影の構成が凄く素敵でしたね。こういう垂直って普通のカメラじゃ出せないからやっぱり4×5"判ビューカメラでしか撮れないもので、やっぱり建築写真家が作ったという感じでした。それで、こういう写真撮りたいと思いましたね。だから僕なんかは生活感という写真というよりかはやっぱり造形的な写真が好きですね。

「構造表現主義
鎌谷—建築写真を20年間撮ってこられて建築の変遷っていうのはどのように感じていますか?
小川氏—僕の経験から言うと、坂茂さんのデビュー作撮ったのね。坂茂さんが出てきたのは87年で、彼は最初は別荘を数作立て続けに出して、やっぱりあの時のほかの建築家に比べるとデザインが垢抜けてるっていうかシャープでしたね。僕が新建築入った年は丁度住宅特集が創刊された年で、撮る仕事は半分住宅だったんで住宅作家の建築の変遷っていうのは肌で感じるっていうのはありますね。当時ってポストモダンが流行ってて、コテコテの装飾的な建築を皆やってたのね。バブルでもあるし。坂茂さんのは本当にシンプルで全然今とも変わってないよね。ただあの人は構造をかなりテーマにするようになったから構造表現主義っていう言葉があるかはわからないけどそれのハシリでもあったよね。最初は在来工法のシンプルなものだったけど。当時はポストモダンとそうでない人に大雑把に二種類に別けられる時代だったと思うけど坂さんはそれとは違う次元にいましたね。で、坂さんの二作目を撮ったときにこれで吉岡賞取ると予想したんだけど、その後もなかなか取れなかった。無冠の帝王って僕は呼んでたんだけど笑。
山道—ポストモダン等かつては大きな流れみたいなものがあったと思うのですが、最近の建築についてはそういったものは感じられますか?
小川氏—やっぱり構造表現主義的な建築が増えてきた。構造家と組むっていうのは数年前からの流れですよね。池田昌弘さんがきっかけかと思われるけどその前から川口衛さんとか大御所の構造の方がいらっしゃるじゃないですか。あの辺の方と組んで槇文彦さんとか原広司さんとか磯崎新さんとか大規模な建築で思い切った造形ができるようになったけれども。あとは住宅スケールの建築で構造家と組んでやるようになったのはやっぱり池田さんが出てきてからですかね。住宅ってやっぱり工事費安いから設計料安いし、その中から構造設計料出すってやっぱりキツイよね。だからそれまでは構造家に頼めないですよね。だけども米田さんとかが池田さんと組んで凄いのやってるじゃん笑。
小林−すごい飛んでますよね笑
小川氏—米田さんのホワイトベースとかかなりぶっ飛んでるよね笑。

「建築写真的建築」
鎌谷—構造表現主義かはわからないんですけど、僕の視点から見ても最近の建築家の作品はビジュアル化思考が強いかなと思うのですが。
小川氏—でもビジュアル化なんかは昔からそうだよ。建築家は絵を描くだけじゃなくて写真を撮る人も凄く多くて、自分の建築をどこから撮ったらいいかものすごく考えているよね。早川邦彦さんっているじゃない。ビジュアル建築家の最たる人だと思うんだけど、早川さんのデビューの頃に作ってた成城のバス停前の家とかあるじゃない。あれなんかカメラを立てるための穴っていうのがもう壁に開いてるのよ。もうまさにここから撮れって建築家から言われてるようなもんなのよ。そこから撮ったら絵になりますよ、もしかしたら新建築の表紙ですよとそこまで向こうは計算してる笑。で、あと篠原スクール出の某建築家なんかも住宅のプランとは全く関係の無いところに凹みがあって、これはいったい何のためと思ったら三脚を立てるためのスペースなのよ。
g86−なるほど。
小川氏—そこから撮るとこの住宅の空間が一番よく撮れるという。そこを凹まさないと前に出なきゃいけないから全体が入らないでしょって思ってそこを凹ませんだろね。
その人は篠原さんの撮影の時にいかにエネルギーをそそぎこむかっていうことを叩き込まれている。だから常にどういうふうな写真をこの場所から撮るだろうかっていうことを計算して凹ましてる。篠原スクールOBの中でそういう話を聞きましたね。
小林—今おっしゃっていた建築はここで撮ってくださいというようなものですが、通常の建築写真を撮るときには建築家の方とどういったコミュニケーションを取るんですか?
小川氏—まず編集部にさ、これを掲載してくれませんかって資料が送られてくるじゃない。建築家が送ってきたデジカメの写真や資料を見ればだいたい美味しいところは伝わってくるわけですよ。だいたい一番絵になるところを彼らも撮ってくるから。それでだいたいわかりますよね。あとはその建物がめでたく掲載が決まると、僕は図面や資料を頭の中に叩き込んで、例のあの写真はここから撮ったんだなぁとかポンポンポンとチェックしていってそれ以外にこの辺から撮れるとかはこっちの感性で撮っていきます。で向こうのオススメポイントっていうのは外さず撮るようにしています。建築家によっては完全にお任せしますという方もいます。あとは実に細かく、右はこの辺から、左はこの辺まで入れて撮ってほしいと言う人もいる。あとはドアの開ける角度まで指示してくる方とか笑。
g86−笑。
小川氏—あとは朝日が凄く綺麗であるとか夜景が綺麗であるとか。でもその辺は普通会話ですね。
鎌谷—写真を撮るときに中の家具の配置とか手を加えますか?
小川氏—もちろん設計意図にそぐわないものはどかします。あとは家具が多すぎるとどうしても、写真上では肉眼よりも煩わしく写るのね。だから間引いたりします。
鎌谷—住宅とかだと既に人が住まわれてたりすると思うのですが、
小川氏—住んでる住宅の撮影はその労力の60パーセントくらいはモノどかしです。
鎌谷—小川さんにとって建築の構成を美しく見せるために生活してた家具をどけて撮影するということについてはどうお考えですか?
小川氏—理想を言えば一切モノを動かさないで撮れるのが理想ですよね。海外のケーススタディーハウスの22とかさ、有名な白黒の写真があるんですよ。ハリウッド女優風の古きよきアメリカ風の、座ってくつろいでるっているって写真なんだけど。ジュリアスシェルマンっていう建築写真家なんだけど、超有名人でまだ御存命のはずですけど。僕がこの仕事でこの建築を撮ることになってジュリアスシェルマンは縦構図だったから僕は横にしようと思って笑。前に出てロサンゼルスの街を見下ろすように横位置でパーっと撮ったのね。もう何にもどかさなくていいのね。あるべきところにあるものが収まってるというか。世界的に有名なモダン住宅だから撮られ慣れているんだろうね。
g86−なるほど。
小川氏—なんにもどかしてないですよ。多少位置を変えるくらいで、あるべきところにあるって感じですよね。
鎌谷—人は住まれてますか?
小川氏—もちろんもちろん。(写真を指差しながら)この人はここの施主。御主人。もう凄いおじいちゃんでしたね。この住宅を凄く愛してる人でしたね。自分が若い時のサーファーだった時の写真をこの寝室に飾ってあるんだけど、この辺だけアップで撮ると物凄い別の写真になるね。もう建築写真ではなくて。古きよきアメリカの素晴らしいパパ。家族の写真とかさ。それはもう建築写真じゃなくなってその人の記録写真になっちゃうけど素晴らしいよね。
鎌谷—僕らの大先輩である篠原一男さんが住宅論で竣工写真の瞬間が美しければいいと書いてました。そのときの緊張感というか。
小川氏—伝説で聞いた話ですけど篠原さんって撮影の時に邪魔な庭木があると施主に黙って切っちゃったとか。私の美のためにこの木は邪魔だと言ったとか言わないとか。
鎌谷—笑。では、小川さんはこのケーススタディーハウスが理想だと。
小川氏—そうですね。これなんかは設計したピエールコーニックさんがこの家具は私のイメージと違うというかどうかはわからないけど、もう施主の世界になってるからこれはこれでいいと思います。
山道—竣工から凄い時間が経ってるから?
小川氏—そうだね。建築家によってはカッシーナあたりから全部家具を借りてきて撮るような人もいる。ショールームだよね。
g86−そうですよね。
小川氏—で、私ん家じゃないみたいって施主が驚くわけ笑
一同—爆笑。
小川氏—で撮影が終わったら家具を戻して元の世界に戻るというか。束の間の夢ですね。
瞬間というか。

「東京のイメージ」
山道—東京を学生の頃からずっと見てこられたと思うんですが、東京のシンボルというか小川さんの東京のイメージを聞かせてください。
小川氏—単純に言うとものすごい高層ビルが増えて都心にいると気付かないんですけど、ちょっと離れたところから、例えば千葉県の市川辺りから見るとホントに隙間無く高層ビルが建ってるように見えるよね。昔は本当に新宿と東京駅周辺ぐらいしか無かったんですけど、今はほんとビッシリという感じ。いつの間にこんなに東京は高層ビルだらけになったんだと驚きますね。特に最近高層マンションが多いじゃない。ものすごく立体的になってきてるよね。
あとはなんだかんだ言って東京はさ、あれだけビッシリ建って馬鹿みたいって言われている汐留でさえもサンクンガーデンとかゆりかもめに乗って上から見下ろすとすごく立体的ですごく面白い空間でよく出来てるなと思います。個々のデザインの好みはさておき、東京の街はなかなかたいしたもんだなと僕は思いますね。
鎌谷—東京の街は立体的で面白いとおっしゃいましたが、やっぱりそれを促したのはゼネコンであったり組織事務所であったり政治家であったり、一人の建築家っていうのは介入している割合ってのは凄く小さくて、棲み分けというか。
山道—乖離が起きてるような気がして。
鎌谷—けど一人の建築家の方が都市論を語ったりしてるのに、作っている作品は造形的であったり写真が美しく撮れるかとかに重きを置いていてその場限りになっていることに疑問を感じるのですが、小川さんはどう思いますか?
小川氏—逆に言うと代官山の槇さんのヒルサイドテラスって一連のプロジェクトがあるけど、あれは最初はヒルサイドテラスっていうカッコイイ名前じゃなくてさ、代官山集合住宅っていう名前だったのね。1967年に第一期が出来たのね。一番はじっこの吹きつけの塗装のやつですね。あれが二棟できて。あれがきっかけで槇さんが少しづつ作っていったんだけど、槙さんに他の人たちが刺激を受けて周りでやり始めましたね。あれって非常に稀有な例だけども、実に幸せな例で、あの辺は朝倉不動産っていう槙さんを信頼しているあの辺の土地を持っているデベロッパーが槇さんに次々に頼んだけど結果的に朝倉不動産が持っていた土地以外のところもみんな頑張って。個々のデザインとか集合した状態はさておき街としては魅力的になってきている。あれはやっぱり槙さんと朝倉不動産の功績だと思う。あれは日本ではかなり稀有な例だよね。
あとはこれだけ、毎月本出してても東京で建築家の作品ってほんの一部で、他の建物はしょうもないのばっかりだけど、とはいうものの、だいぶ最近は組織事務所やゼネコンの作品はレベルアップしてますよね。かなりシャープだと思います。じわじわとよくなってるとは思います。
山道—ヒルサイドテラスとか凄い時間がかけられていて、街と手を取り合うように新陳代謝されてきたと思うのですが、ミッドタウンとか一気に開発するようなものとかはどう思いますか?
小川氏—ミッドタウンはこの春に撮影してから四ヶ月ぶりくらいに今日撮影してきたんだけど、緑がだいぶ茂ってきて、あそこもともと緑がテーマになってましたが、実にいい雰囲気になってきました。ある意味ヒルズと差別化するって言って緑を植えて建物を端っこに寄せて。巨大開発としてはとても良く出来てると思う。あれのいいところは全部の建物の出入り口が全部グラウンドレベルで自分の居場所がわかる。一つの建物から一つの建物へ移動する時に必ずグラウンドレベルを通るというか、もちろん地下でも行けるんだけど、基本的にはグラウンドレベルの隙間を行くから自分の居場所がわかる。
鎌谷—ミッドタウンにおいて建築家が携わっている例としても、隈さんの部分的な内装であったりとか、内装は建築家が携わっていて、あとの深層の構造体から外形まではSOMとか大手組織やデベロッパーが関与していて、一建築家は内装でしか抗えないというか、そういうイメージがあるのですが。
小川氏—やっぱり、事業主が一つじゃないでしょう。再開発って誰が決めるっていうか個人でやる仕事じゃないから結局多数決で決めるっていうことになっちゃうんじゃないですか?なかなか一人のオーナーがある建築家に全部やってもらおうということは事実上できないですよね。
だから例えば、たった一つの企業が広大な土地を持っていたら可能だけどね。
あとあれだけの再開発を一人の人間がデザインしつくすってことは事実上無理だよね。
鎌谷—建築家が全部やるっていうか、建築家の役割が表層だけに棲み分けされていてそこにもっと構造やマスタープラン等の深層まで関与していったほうがいいと思うのですが。
小川氏—そういうことをやろうとしていた例はあるよね。あの汐留の再開発なんかでも旧国鉄の土地を再開発しましょうと話しが決まった時に、どういう建物の配置が街並みとして美しいかと最初は建築家が関与しようとしていたんだけど、結局間に建築家を入れるとそれぞれのディベロッパーが思うように建てられないとか問題が出てきて結局建築家は排除されてしまったってなんかの本で読んだけどね。なんていうだろうね、やっぱり経済の論理とは相容れないんだろうね。結果的に汐留なんかはボリューム同士がくっつきすぎではあるけどね。品川のほうが密度凄いよね。でも素晴らしいのは品川グラウンドコモンズっていう中庭みたいなのがあってあそこ凄くいいんだよね。あれは日本設計さんがやったんでしょう。春に行ったら緑が茂っててすごい良かったですよ。日本設計っていう組織事務所なんだけど、あそこに広場を作りましょうっていうのはやっぱり共同体なわけじゃないですか。だから組織も一緒にかなり主張してあの場所を作ったって感じじゃないですかね。
山道—新建築は一人の建築家の作品と大規模開発が同じようにレイアウトされていくことが多いですが、建築をお金を持っている人のための贅沢品として見るのか社会一般のための開かれた建築として見るのか、戸惑うのですが、それについてはどう思いますか?
小川氏—それは編集長に聞いてください笑。と言いたいところですが、、、
鎌谷—小川さんとしては、ミッドタウン等の大規模開発や住宅作家の住宅作品の写真を撮る時には同じようなスタンスで撮っているんですか?
小川氏—僕のね、というか新建築のスタンスとしては建築家にとってのプラスになるように発表してもらいたいという思いがあるというか掲載するだけの価値があると判断したわけだから、それをより美しくというか建築家にとってのプラスになるように発表させてあげたいという思いがあります。
常に僕は撮影に行った時にはレイアウトを考えながら撮っているんですよ。それは新建築写真部のスタンスであるわけだから、トップで最初の写真をどう載せるかとか次の見開きでどう載せるかとか、最後は図面と一緒に割りと細かい写真をどう載せるかとかまで考えて撮っております。スタンスとしては小さな建物と大きな建物は同じように撮っています。
街並みの中でどう見えるかという写真は必ず入れるようにしれます。かなり浮き上がっている住宅とかあるでしょう笑。オブジェとして浮き上がっててそれが面白いという場合は少し広めでバーンと撮ります。あとはロケーションに恵まれてる建築はすごい絵になりますよね。例えばすごい海に面しているとか森の中に建つとか。一番難しいのはオブジェとしてもピンとこなくて回りの風景も普通という場合は広くは撮れない。ただまぁ光を選ぶと格好良く写りますよね。となりの建物の方が目立っちゃうという撮り方はしない笑。
山道—大手設計組織が骨格を作っていって建築家達がその中に素材感を与えていくということがありますが、大手設計組織と建築家の作品に空間的な質に違いって感じますか?
小川氏—うーん。隈さんのサントリーミュージアムと安藤さんの21_21に関して言えばコア・アーキテクトとして日建設計が関わっている。だからいわゆる仕上がりの物質的なレベルでは他の部分と同じですよ。

「見えなくする設計」
小川氏—アトリエ事務所が苦労しているのは現代建築ではやっぱり天井だと思うよ。天井っていうのは点検口とか空調の噴出しとかいうような物は雑物なんですよ。要は必要悪なんですよね。無いほうが美しいというか。いかにそういうものを消し去るかってことに苦労するんだよね。設備をどうやって引き回すかとか。一番凄い例は谷口吉生さんだよね。
g86−おぉ。
小川氏—あの人は世界で一番潔癖症の建築家ですよね。
鎌谷—びっくりしたのはタイルの目地がガラスの自動ドアのレールになってましたね笑。
小川氏—笑。僕も谷口さんとは十数年付き合ってますが、すごいのはね、上野の法隆寺宝物館なんだけど、ロビーにおいてある椅子が自分が決めた位置から動かないように床に穴あけて固定してるのね笑。
g86−えぇー笑
小川氏—で、お掃除の人のために上へポコっと引っこ抜けるようになってるのよ笑。マリオベリーニが設計した革張りのやつですよ。あれが何脚か置いてあって、最初は固定されていなかったんだけど、谷口さんが行くととんでもない並び方がしていて我慢なんなかったんだろうね笑。それを床の石に二ミリか三ミリのギリギリの深さの穴をあけて、ぴったり微動だにしないように収めてる。あと受け付けのカウンターにおいてあるサインも固定されてる笑。そういうサインもやっぱり谷口さんが作ってるからすごく美しい。だから谷口さんの建築を撮影するときには何にも動かさなくていい。
g86−なるほど。
小川氏—あの人の美術館とか行くと完璧ですよ。
鎌谷—建築写真をいろいろ撮りに行きますけどやっぱり一番絵になるのが谷口吉生さんですよね。
小川氏—絵になるっていうかね、自分の建物が建ってからどういう風に使われていくかっていうことまで考えているのね。
鎌谷—なるほど。
小川氏—あとは慶応義塾大学湘南藤沢中等部・高等部があるじゃない。あそこの職員室に行くと、「この建築は建築家谷口吉生が厳密にサインを決めたものなので追加の張り紙等は一切禁ずる」って書いてある笑。
g86−笑。
小川氏—「廊下は走るな」とか張り紙は絶対貼らせないという感じ笑。あそこに行くと整然としてる。法隆寺宝物館の撮影の時に谷口さんから「見えなくするディテールというか隠すことにお金をかけている」と言われた。防煙垂れ壁とか防火扉とか普段は全くわからない。カラクリ屋敷みたい笑。
鎌谷—特注ですか?笑
小川氏—特注の極みじゃないですか笑。
山道—やっぱりそういったすべての緊迫感をコントロールするには一人の建築家がいないとできないですよね?
小川氏—あそこまでは普通は出来ないよね。現代建築ってやっぱり設備が無いと成り立たないですよね。そういうものをいかに目立たなくするかってもの凄い地味な設計行為だよね。そこにエネルギーをさいてる。天井と壁のほんと細いスリットを空調の噴出しにしたり、壁の立ち上がりのところにステンレスの細いガラリを仕込んだりやったりしてますよね。あと、天井の点検口をいかに隠すかって技の一つじゃない?見えなくする設計だよね。ああいうのは時間で人を使う組織じゃ出来ないだろうね。
山道—そういう意味だと大手設計組織とか配管が出てたりしてそういう意味ではプライドが無いように見えてしまいますよね。
小川氏—そうだね。谷口さんの建築で凄いのはバックヤードも凄く綺麗で感動しちゃうよ笑。
鎌谷—そうなんですか。
小川氏—あと非常階段とかね。誰もここまで見ないじゃんっていう手すりのディテールとかも凄い綺麗だしドア枠がそもそも無いんですよ。壁とドアだけでピシっと面で収まる。凄いですよ。ああいうのは原寸図で図面描くんでしょうね笑。アトリエではそういうところに所員が力を注いでる。今日たまたま安藤忠雄さんに会ったけど「作り手の情熱が伝わってくる建築ってのがいい建築なんやぁ」って言ってましたね。小さい建物だったら現場に張り付いてああせいこうせいって言えるけども大きくなるとそれができないでしょ。だからいかに現場レベルで個々の人に責任感というかやる気出してもらうっていうかモチベーションを高めるのに監督しているって言ってたよ。昔の住吉の長屋では全部現場で指示出してたんだけど今は現場の職人さんたちにいかに設計意図を理解してもらって皆でいい建物を作ろうっていう気持ちをいかに高める。あなたが頑張ればこれだけ美しいコンクリートが打てるんですっていうことを徹底させる。っていうのが今のあの人のやりかた。
谷口さんなんかも竣工式のときに皆さんのお陰でこれだけのものが出来ましたと、泣かせるスピーチをするらしい。それまで現場に散々文句言ってたけど最後にホロっと言って泣かせる笑。やっぱり見えなくする設計とかアトリエにしかできないこともあるよね。
g86−そうですよね。少し勇気が出てきました笑。今日はお忙しいところありがとうございました。
小川氏—またどこかでお会いましょう。