vol.8 ジャーナリスト 佐々木俊尚氏

g862008-01-08

今回はジャーナリストとして活躍されている佐々木俊尚氏のインタビューです。
ITに精通されている佐々木氏から、リアルなアーキテクチャーとバーチャルなアーキテクチャーを架橋する、示唆に富んだお話をお聞きする事が出来ました。

profile
1961年、兵庫県西脇市生まれ。
愛知県立岡崎高校卒、早稲田大政経学部政治学科中退。
1988年、毎日新聞社入社。岐阜支局、中部報道部(名古屋)を経て、
東京本社社会部。警視庁捜査一課、遊軍などを担当し、殺人や誘拐、
海外テロ、オウム真理教事件などの取材に当たる。
1999年にアスキーに移籍し、月刊アスキー編集部デスク。
2003年に退職し、フリージャーナリストとして主にIT分野を取材している。

interview内容

「マスメディアとネットメディアの言語空間対立」
小林―佐々木さんはジャーナリストという立場で様々な世代を見ていて、例えば「起業化2.0」では76世代について書いていらしたと思うのですが、そのさらに10年下の僕たち86世代について何か考えられていることはありますか?
佐々木氏―うーん86年ね、僕の取材ターゲットにはまだ全く入っていない 笑
g86―笑
佐々木氏―世代の話をすると、日本で90年代半ば 91年にバブルが崩壊するんだけど、その時代は就職がきつかった。だいたいバブル世代っていわれているのはね80年代半ばくらいだから、今の会社の入社でいうと92年くらいまで。毎日新聞に、僕は88年に入社して同期が100人くらいいたんですよ。91、92年くらいには150人や200人で93年になると、一転して10人とかに激減して、そのころに就職活動始めた人はもうどこにも就職できない。しかも非正規雇用でしか会社で働けなかったりしてフリーターになってしまいワーキングプアに転落する人が非常に増えてきて、この世代がイコール、ロストジェネレーション、要するに日本で戦後初めての親よりも貧しい世代。だから今で言う35歳くらいの人、70年生まれくらいの人ですよね。
そのロストジェネレーションとインターネットの出現っていうのはほぼ同じ時期なんです。景気が悪くなったのが93年くらいでインターネットが日本で普及し始めたのが95年。二年遅れくらいでインターネットが入ってきて、ロストジェネレーションは社会ではひどい目にあいながらもインターネットを使って新しいコミュニケーションをはじめたと、いうのがオーバーラップして、マスメディアはおじさんたちの言論空間、でインターネットの言論空間はロストジェネレーションたちが軸になるっていう対立軸が発生した。
例えば、それが一番鮮明になったのが一昨年の2005年。この年にライブドア問題と小泉の郵政解散があった。マスメディアはこぞってライブドアや小泉を批判したんだけど、一方ネットでは堀江、ライブドアを擁護するような声が少なくなかったし、小泉政権にしてもそう。ここで世代間差異が明確になってきて、そこでブロガーすなわちロストジェネレーションは、マスメディアは我々を代弁しているメディアではないことを明確に認識した。つまり世代間断絶があるっていうのがようやく可視化された。さらに結果的に小泉自民党は勝ってしまって、それまでインターネットは隅っこの方で、ちまちまやっていたのが、我々の言論が時世を変えられるんじゃないっていう希望が生まれてきた。だから2005年というのはインターネット言論にとっては記念碑的な年になった。
その後も、例えばマスメディアは電車の中で携帯いじっている奴らが馬鹿だとか書いたりするんだけど、今まで電車の中で本を読んでいたのが、単に表現メディア、つまりデバイスが変わっただけの話なのに、そういうのがおじさんにはうけるだろうと書いたりした。でも彼らはインターネットの言論空間で何が行われているかは実際知らない。ブログも読んでないし。ブログの世界って言うのはポータルではない。つまりこれを読んで全てわかるっていうのがない。だからよそ者、慣れてないリテラシーの低い人には入りにくいっていうのはあって、彼らは全然接していない。
一方でロストジェネレーションの人たちは、テレビとか新聞を観ても馬鹿じゃないとしか思わない。朝のワイドショーのコメンテーターの言うことに、膝をうつこともほとんどない。逆にブログを見ると、もっともだなと思える人がいて納得したりする。そこでもう完全に言論空間に分断が起きてしまっていてお互い相容れない状況がおきている。
たまに三十代ぐらいの人と話をすると、だいたいみんな言うのは、「世代交代を待つしかないんですよ。」っていう(笑)そういう言い方をするんですよ。
じゃあロストジェネレーションに関しても団塊世代が退場して彼らの時代がやってきたら言論のメインがPCになるか、というと案外そうでもなくて、今携帯電話がすごい勢いで普及していて携帯電話上でなんでもやるっていう時代になりつつある。そうすると言論空間が携帯に飲み込まれていく可能性も多いにあると思う。たとえば今あなたたちが最初に使うインターネットって携帯だったりするでしょう。
鎌谷―僕は携帯から始まりました。
佐々木氏―そうだよね、携帯の方が親に見られなかったり、部屋の中で出来るとかいろんなメリットがあるよね。
鎌谷―高校入って携帯を使って、高校終わりくらいにPCのネットに入っていった気がします。
佐々木氏―ほぼリアルタイムで携帯のネット対応を経験している感じだよね。かといってこのまま大学院行って卒業して就職してパソコンで何でもやるかっていうとならないんだよね。いまの会社は個人情報がらみでパソコンの使い方が厳しいから、私用メール禁止とか、CD-R焼いちゃいけませんとかあるからパーソナルユースは携帯で出来るんじゃないかな。だからパソコンは仕事で使うようになる。
アメリカの場合、携帯電話はあるけど携帯で観ているウェブはパソコンと同じで、スマートフォンとかブラックベリーはオペラなどのブラウザがのっているのでPCとシームレスにつながっているんだけど、日本の場合携帯とPCのウェブって完全に別名義で、モバゲータウンはPCで見れない。PCのサイトで携帯では見られないサイトもいっぱいある。これはもう別の空間で、この状態をガラパゴス進化って言われていて、日本だけが特異な方向性に走る可能性があるんだけど、逆にそれが面白い状況が生まれる可能性もあるんじゃないかな。
要するに30代40代のPCのウェブ世界で生きてきた人たちは携帯というのがよくわからない。逆に言うといまの80年生まれぐらいを境にそこから下っていうのは結構みんな普通に携帯を使いこなしている。だからそこでまた新しいデバイドが生じてきている可能性もあるんじゃないかな。でもそれがどういう方向にすすんでいくのかはまだ微妙にみえていこないという感じがしますね。
鎌谷―僕らより下の高校生とか中学生になると、僕らは携帯もPCも使うけど彼らはもっと携帯ばかりで、地方でも都市でも親指族というか、僕らでもギャップを感じます。
佐々木氏―モバゲーとかしないの?
鎌谷―僕らの世代はしないですね。
佐々木氏―今の大学3年生はしないのか。もうすこし下の世代なのかな。そうやって考えると今の携帯の空間っていうのは結構面白い部分に入り込みつつあるかな。携帯空間が拡大していくのか、それともアメリカの様にPCと同じ世界に入っていくかっていうのはまだ見えてこないね。

「リアルとバーチャルを架橋する〜検索可能生〜」
山道ー最近は世間がネットによってかなりの速度で変化しているにもかかわらず、建築家や学生が建築をつくる時、昔からの文脈しか根拠がなかったり、都市を語るはずなのに、内向きの視点がすごく多い。それと同じ様に、建築家が都市を考える時に住宅というものをまず考えていくことが多いのですが、住宅というより、もっと都市の風景を形作っているものは携帯電話などのプロダクトレベルに近いもので、そういったものの方が都市と接続できるんじゃないかと思っています。
佐々木氏ーでも携帯電話が体現しているのは携帯電話っていうデバイスとしてのプロダクトであって、携帯電話で人と人をとおした、地理やジオグラフィック情報とどうつながっているかっていうそのメッシュのネットワークの方が実は重要だと思う。たぶんバーチャル世界っていうのはどんどん拡大していて、その世界と、リアルな都市の風景っていうのはオーバーラップさせようと思ってもどこにも接点がないっていう状況に違和感があるんじゃないかな。たとえばセカンドライフ。あれは流行らないだろうと思っていたし、実際盛り上がっていないみたい。ただ、あのメタバースっていう3D世界の可能性は色々あって、アメリカのシリコンバレーベンチャーがやっているトライアルっていうのは結構面白い。例えば、車の屋根に魚眼レンズをとりつけて、マチを走り回って、写真を撮りまくる。サンフランシスコ市内の画像をとって、パソコンで処理すれば、クイックタイムなどで、マウスで進んであちこち進んだりできる。それに加えて、セカンドライフのような、CGの世界をオーバーラップさせた広告も可能性がある。
また、マチの中に存在する全ての建物や街路樹など、固定された物、全てに”建物の高さ15メートル””建物の色は青”などのメタタグがつけられていくと、リアルな世界のものがデジタライズされて検索可能になる。この検索可能かどうかというのが重要。
新聞を取っていないと言う大学の先生がいて、理由を聞くと「新聞記事は検索できないからです」って言う。「ウェブの記事だったら検索できるからいい」と。それと同じ様に、現実に存在するリアルな物体も検索できない。ただ、それをインターネット上でデジタライズされた世界で、メタタグをつけることで可視化されると、ここになんらかの接点が出てきて可能性があるんじゃないかと思う。
あとGoogle map上に存在する全てのデータを、セカンドライフのようなメタバースに掃き出すアーキテクチャーがあって、それを使うと、地球上全ての地形がメタバース上にできてしまう。そういうことを研究している企業もある。そういうところで面白い可能性をみいだすじゃないかと思う。 アーキテクチャー、建築と都市、人間の脳みそと三位一体になっている部分で色々可視化できる可能性があると思います。
小林―僕は今GPSを 使ったサービスを提供している企業ではたらいているのですが、やはり佐々木さんがおっしゃっていたように、バーチャルな世界をバーチャルなまま提供してはあまり意味がないと思います。そこで大事になってくるのは結局リアルの生活にどう使われるかという部分。そこで位置情報というキーは可能性がおおいにあると思っています。実際に都市のリサーチでも活用されている例もあります。
佐々木氏―モバイル、移動体通信というのは唯一地理情報がデジタライズされているデバイスということで色々可能性はあって、 経産省がやっている情報大航海プロジェクトの中でも、モデルルーム、サービス、などがいくつかあります。
例えば東急百貨店では、物を買ったときはパスモをピッとやったら残るけど、単なるウィンドウショッピングをしているときの事はデジタライズされていない。それをデジタライズするために顔認識を使ってできないかという考えがある。店内のあちこちにカメラをつけて、そのカメラで顔を認識して、最終的に、出てくるまで追跡して、その間その人が何をやったかを全部データとして蓄積して、次に来た時に、「この前こういう服を探していたから、今日はこれをレコメンドしましょう」という風にサービスに結び透けられないかという試みがある。
これをやるには、個人情報というのがかなりネックになってくるので、難しいけど、店内などで、何らかの事情でGPSが使えない時に監視カメラでも、行動をデジタライズできる可能性がある。だから、いかにデジタライズ出来ていない人間のリアルの行動をデジタルの世界に持っていくかというのが話題になっています。
その話を日本ショッピングセンター協会で講演したときに、70歳くらいのおじいいさんがやってきて、「1950年代くらいに小田急百貨店では、お客さんの後をずっとついていって、どういう経路をたどって何を買ったかをメモ調査していた」という話をされた。
坂根―今もそういうバイトがあります。動線調査のバイトがあって、郊外の大きなショッピングセンターでお客さんに気付かれない様に、ボードをもって、自分で追うお客さんを決めて、その人から20メートルくらい離れて、何の商品を取ったかというのを地図に書き込むというものです。
一同―笑
佐々木氏―それはランダムで選ぶの?
坂根―そうです。ランダムです。
佐々木氏―たぶんそれをデジタル化、システム化してやろうというところにある。人間がやるのはある程度許されても、カメラでやるというのは、恐ろしいよね。経産省情報大航海プロジェクトは、そこの問題がすごく重要になってきていて、人間が色々な行動をして、それがインターネット上の行動ならまだしも、リアルの情報まで蓄積されるとなると、気持ち悪いでしょ。そこをどうやって解消するかというのは、重要な課題だね。
そうはいってもプライバシーの問題はすごく難しくて、お客さん追跡調査も、それは別に法律違反じゃない。道義的に問題があるかと言うと、特にない。何のルールにも反していない。プライバシーの問題で一番難しいのが、企業が入手した個人情報を外に出すのはいけないでしょう。そうではなく、「社内でだけで使っています。絶対外に流しません」となると、何がいけないのかという事になる。たぶんそれに対して、反論として論理はなくて、「気持ち悪い」としか言えない。歌舞伎町とかにも監視カメラを設置しようとしていた。警察の方は、これで犯罪防止になる。反対運動の方は気持ち悪いといっているだけ。気持ち悪いか犯罪抑止かといったら、やっぱり犯罪抑止の方がロジックとして強い。東浩樹が監視問題などについて、気持ち悪い以上のロジックをもたなきゃいけないと言っていて、今のところはないと言っている。
鎌谷―世田谷の成城とかにある、高級住宅街にある住民が率先してお金を出し合って、監視カメラを置こうという動きがあるようですね。
佐々木氏―結構それはあちこちで問題になっていて、取られた人の肖像権は削除を要求できるのかとか、削除と行ってもどこに映っているかわからない。完全に顔認識して「何々さんがどこどこを通りました」というデータになっているのであれば、そこを追求できるんだけど、映像のままでは、そういうのが無いから見つけられなくて、解決しようがない。という状況がある。 どうしてもやっぱり、人間の行動が、インターネットの世界のバーチャルな世界の人間の行動とリアルな何かが融合してくると、そこの問題が急浮上してくるのは間違えない。
経済産業省情報大航海プロジェクトで、制度検討委員会ができて、個人情報保護法や、プライバシーについての議論をしているわけです。制度検討委員会の結果が発表されたりすると一悶着起きるんじゃないかな。

アーキテクチャーと集合知
鎌谷―情報などのバーチャルなアーキテクチャーが台頭してきて、リアルなアーキテクチャーとしての建築とそのバーチャルなアーキテクチャーの関係はどう変化して行くと思いますか。
佐々木氏―インターネット上に構築されていくバーチャルな空間と、その空間と現実のアーキテクチャーとがどうリンクして行くか。そこしか無いと思う。だから、例えばお天気センサーってあるでしょ。あの気温と湿度のセンサー、それを町中の全ての建物に設置して、それを全て無線LANでつないで、センサーネットワークをつくることで、ピンポイントの天気予報をつくれる。だからリアルなアーキテクチャーが存在する様々な情報、例えば高さとか、湿度とかをどこまで、インターネットにとりこめるかというのが、進んでいくのではないかとは思う。
g86―なるほど。
鎌谷―建築をつくるまでのプロセス、それを生成するまでの段階の手法もどんどん変わっていくと感じていています。僕らはwikiなど最小限の閉鎖性がある開かれた状態で多くの人で共有しながらデザインをしていくことの可能性を考えています。これはネットのアーキテクチャーの発達によって可能性が広がっていると思っています。
佐々木氏―ただ、プロフェッショナルの仕事は、そういう状態というのは難しいよね。
鎌谷―グーグルがアルゴリズムを公開していない状態はそういう事なのかと思っています。
佐々木氏―なぜグーグルがアルゴリズムブラックボックス化する必要があるかという話になると、それは悪用されないため。それがわかっていると、悪用される。悪用されない方法は、ブラックボックス化するという方法だけではなくて、例えば集合知みたいな考え方がある。それだと悪者が入ると、誰と誰が悪いとすぐに見えてします。
逆に言うと、ブラックボックス化して「何か分からないけどこういう結果になりました」というのは、悪者を含めみんな、中を見る事はできないけど、一端見られてしまうと悪用されてしまう。中に入られても悪用されない仕組みというのは、人間がみんなで集まって、リンクしたり投票したりする仕組みの方が、スパムを防ぐ事ができる。ソーシャライズという言い方をしているのだけど、人間の集合知でものを考えていくのか、それともアルゴリズムで考えていくのか。もちろん最終的には、アルゴリズムがあって集合知があるんだけど、プロセスそのものが計算式になっているのか、可視化された人と人のつながりにするのか、そこの違い。
そこはどっちがいいのかよくわからないけど、補完関係にあると考えていけばいいんじゃないかな。向いているところも、向いていない事もある。検索エンジンなら、みんなで供給するよりはアルゴリズムがいいでしょう。グーグルは最近検索エンジンの新しいインターフェースで、みんなで検索結果に投票できたりする事を、試験的にやったりしていて、みんなが投票した結果の方が少し上に上がってきたりする。その場合、人によって求める検索結果って違うわけだから、みんなで投票する事が本当に正しいのかと言うとそれは難しい問題で、母集団の問題もからんでくる。
山道―建築の製作の部分を共同できないか、という事なんですが、ニューヨークにいるキャメロンシンクレアは、architecture for humanityというプロジェクトで、被災地におくる簡易用の避難所などの図面をweb上に公開していて建築のオープンソース化をしています。他にもそういうプロジェクトをしている人がいて、他の人たちが図面や3Dをセカンドライフ上で見ることができて、「もっと、こういう方がいいのではないか」とか、そういう使い方もしています。そういった意味では、セカンドライフ集合知の様に、3Dの画面はリアルな世界とリンクする、新しい集合知のあり方がありえると思います。また、Wikipediaで集合している状態を含めて、誰かの利益というよりかは、共有できるようなものじゃないと、うまくいかないんじゃないかなとも感じています。
佐々木氏―wikipediaはうまくいっているのかいっていないのかという議論があって、あれは集合知がうまくいっているのではなくて、官僚制度がうまくいっているというアメリカ人もいる。要するに管理人が集合知自体を支配する仕組みがうまくいっている。あの管理人が全員いなくなったら、ダメになる。集合知っていうとすごく牧歌的な、楽天的なモデルなんだけど、いっぱいノイズのよう人々が考えてる事があって、その中にゴミもあるし、良いものもある。その中からうまく救い上げるかと言うパイプラインがすごく重要。ものづくりとかに集合知がどのくらい使えるかというのは重要で、wikinomicsという言い方をしているんだけど、最近okwaveという会社の兼元さんと、okwaveがやっている膨大なQ&A掲示板に、集合知をいっぱい溜め込んでいるから、それをものづくりに結びつけられないだろうかと考えて、二人で色々なところに取材をしているところ。例えば無印良品が、“運べるあんどん”みたいな、持ち上げると消えて、置くとつくみたいな商品は、一般者の意見を取り入れて作った商品らしくて、ああいうものをつくれないかなと模索している。そこで一番問題なのは、ぼんやりとしたアイディアはみんなある。でもそれが使えるのかどうかわからない。そこでものづくりにいくにはデザイナーが重要で、彼らがいないと何一つ結びつかない。みんなのもっている「あんなものつくりたい」という集合知を工場に持っていっても、ものにならない。
みんなの意見からでたものを、1つの形にまとめあげて、図面を書いて、工場に持っていって、こういうものをつくって下さいという、デザイナーの存在が一番重要になる。でもそれって結局、集合知といえるのか、というところがあって、デザイナーが優秀であればいいでしょうということになってしまい、非常にそこは難しい。その母集団の側の人たちが、少数の専門家であったらそれは成り立つ。ウィキノミクスって本が出てるでしょ。冒頭にカナダの鉱山会社がデータを公開しているという話があるんだけど、あれだって、相手はみんな世界各地にいる専門家たちだから、そういう人たちの集合知というのは明確に拾い集めやすいんだけど、集合知を構成する母集団が拡大すればするほど、衆愚化してしまって、きれいにまとまらない状況が起きてしまう。インターネットって広がる方向に、拡散して行くメディア、集合知がものづくり、1つのプロダクトに結集されるためには、なかなか逆の引力にしなきゃいけなく、すごく難しいという印象があるね。
山道―wikiを使ったサイトで、wikipediaだけが、全サイトの中で8位くらいに入っていて、他のwikiを使ったサイトは1万位に入っていないと聞いたことがあります。Wikiという状態で、広げて活用していくのはやはり難しいのでしょうか。
佐々木氏―書く人が限られているとうまくいく。全員が書き出すと、うまくいかなくなる。wiki使ったウェブでも、知られていないものだと良いものがあったりするけど、広まると急に質が落ちることがよくある。そこは常にトレードオフになってしまう。だから建築なんかは、世界中の建築家が集まってやるというのは、可能性があるかもしれない。そこのトレードオフに対するいい解答は誰も思いついていないのが現状。wikipediaが混乱しているのは、そこのモデルが解決しないから。どうしてもノイズの中にゴミが流れ込むのを防げない。しかたないから管理者側が権限で切り捨てまくる。日本でもウィキペディアの参加者のメーリングリストがあるけども、大混乱。「なんで勝手に削除するんだ」といったりして。相容れない。
鎌谷―wikiなどの集合知のシステムでは、ノイズを排除するようなフィルターをつけるというのが、今後の重要になるという事ですか。
佐々木氏―そう。でもノイズを排除してはいけないんだよ。ノイズを無くしてしまうと玉が出て来ない。良い意見は膨大な無駄の上に集まる。だから拡大した方がいい。でも拡大すると拡散してしまう訳だから、そこから良いものをどう集めるかというアーキテクチャーが必要。それを人間がやるのかアーキテクチャーがやるのか。人間だと数が多くなるとできない。アーキテクチャーなら出来る可能性がある。
色々取り組みがされてきている。ブログのコメント欄のノイズでは、slash dotっていう掲示板とか見ると、レイティングシステムで、みんなで投票して、投票をされてない人は表示しないというシステムで、あらしとかはもちろん投票されないから、表示されない。でも見ようと思えば見れるというのが結構大事で、そこで削除してしまうと、みんな怒る。ノイズは自分をノイズだとわからない。本当にあらしだと思って書き込んでる人はいいんだけど、自分ではそう思っていないのに、人から見るとノイズでしかない人は世の中に一杯いるわけ。そこは難しい問題がある。だからできるだけ見えない様にするとか、逆に良いものだけを拾い上げる仕組みをつくるとか、そうしていくのが一番いいと思う。今は技術的には問題ないんだけど、仕組みを生み出すアイディアが出ていないと言う状態じゃないかな。

「プラットフォームの重要性」
佐々木氏―検索エンジンを支配しているのはグーグルだし、EコマースではAmazonがプラットフォームで、アマゾンが持っている商品のコードが公開していて、それが今やプラットフォームになりつつある。日本の楽天なんかは、そんなことできていない。プラットフォームはすごく重要なんだけど、日本の会社は、それを理解していない。未だに良いものつくれば、みんなが使ってくれると思ってる。
一番いい例はipodウォークマンipodウォークマンを二つ並べると、明らかにウォークマンの方が技術的にレベルが高い。製品の造り込みとか、中の細かさとか含めて。ipodは世界中の安い部品の寄せ集めで、デザインはきれいだけど技術的には大したことはない。でも、ipodはそこで、プラットフォームを指向してiTunesとiTunesMusicStoreという、ソフトウェアとデバイス音楽配信サービスと言う3つを垂直統合してプラットフォームとするという戦略で勝った。プラットフォームは実に重要だけど、日本の企業はそこは考えていない。ウォークマンはあの中でCDとかMDを入れて聞くって言うそれだけのデバイスでしかなくて、プラットフォームと言うものを指向していなかった。いかにいい音を出すかとか、いかに小さくするかということだけしか考えていない。
かつてはプラットフォームは、コンピュータの世界ではハードウェアだった。90年代初頭まで遡るとNECPC98みたいなプラットフォームの上でなければどんなソフトも動かないから、みんなNECのパソコン買っていた。これこそプラットフォーム。それがウィンドウズの登場によって、ウィンドウズであればどのパソコンでも、同じソフトウェアが動くという事で、NEC PC98はプラットフォームから滑り落ちて、ウィンドウズはプラットフォームになった。でもいまや、OSではなく、ウェブブラウザ自体がプラットホームになってきている。ウェブブラウザさえ動けばウィンドウズでもMacでもLinuxでもGmailGoogle検索も使える。つまり、だんだんプラットホームというのは上位のレイヤーにあがってきています。
では次のプラットホームは何かというと、最近よく言われているのはSNSSNSとはすごく巨大なプラットホームになりうる。完全バーチャルだったインターネット空間にリアルな接点を見いだす可能性を示しているという点でSNSはすごく強い。Facebookってありますよね。Facebook adっていう広告モデルが凄いです。Mixiは友達が日記書いたり、音楽とか動画をUPしたときぐらいしか通知が来ない。Facebookはもっとすごく細かくて例えば僕が顔写真を交換しただけで「佐々木俊尚は写真を変えました」とかいちいち通知される。笑
一同―笑。
佐々木氏―Facebook上のすべての行動がすべて通知される。また、アプリケーションを自由に取り込めるようになっている。例えばtwitterとかを表示させることも出来る。
g86―凄いですよね。笑
佐々木氏―企業のマイページもある。例えばコカコーラのページがあって、そこに行くと“コカコーラのファンになる”というボタンがある。それを押すと「佐々木俊尚はコカコーラのファンになりました」と通知される笑。
一同爆笑。
佐々木氏―そうやって企業がキャンペーンをしている。最近Facebookはビーコン(beacon)というサービスを始めた。Facebookと外部のサイトを繋げることが出来るというもので例えばFacebookamazonを繋いだりすることができる。そこでamazonで僕が何か買うとFacebook上で「佐々木俊尚amazonで○○を買いました」と皆に通知される笑。人間のすべての行動を記録していってFacebook上の友達に流す。でもこれはものすごく猛反発されて、もともとオプトアウト、要するに全員データが流れるようにしてあって嫌な人だけダメっていう設定だったんだけど、さすがに苦情がいっぱい来たらしくオプトイン、要するに最初は送らない設定になっていて希望する人に送るというようにするというものなりました。そういうものを見るとSNSというのはいろんなもののプラットホームになりえる気がします。

「見える技術、見えない技術」
鎌谷―これから建築においてもユビキタスというような話ってすごく重要になってくると思うんですけど、任天堂wiiは最近NTT等と提携を結んでプラットホーム化の予兆が来たのかなという感じがしました。
佐々木氏―wiiの可能性はものすごくたくさんあって最大の問題はリビングにインターネットが来てないということ。だから任天堂はNTTと組んでLANをリビングに引くサービスを始めた。そこが繋がるとテレビもゲーム機もネット化される。現状ではwiiがインターネットに繋がってることって30%くらいでしょう。そこがつながると、それこそセカンドライフみたいなものをwiiでやることもできる。任天堂DSで動物村とかあるでしょう。あれもSNSの一種だから、あれも広範囲的にインターネットでメタバース化できるし、マウスでやるよりもリモコンでやる方がアバターも動かしやすいでしょう。しゃべることもできるだろうからそれをどう組み合わせるか。任天堂がやる気になればすぐできるでしょう。任天堂って取材しても次に何やるか絶対に言わない会社なんだよね笑。
鎌谷ーそうなんですか笑。SONYとかどうですか?PS3とかについてどう思われます?
佐々木氏――SONYはプラットホームを作ることの意義を相変わらずよくわかっていない。技術的にいいものを作れば売れると思い込んでる。PS3が負けた原因はそこにしかない。すごい高度な技術を注ぎ込んで、CPUまで自社で作って、あれだけ大ゴケしたんだからいい加減、学習してほしいですね。
鎌谷―昔は技術指向という空気はどのゲーム機会社にもあったと思うんですけど任天堂が急に解像度を下げてDSとかwiiを出したら爆発的にヒットしましたよね。
佐々木氏―結局それは未だに日本企業の多くが高度経済成長の成功体験から逃れられていない。あの当時は技術力を高めることによって世界へ出て行けたという強烈な自負を持っていて、すごいものを作れば売れるんだと未だに思い込んでいる。2007年問題で、団塊の世代が退職するという時にモノ作りの現場で言われていたのは匠の技の危機ということです。町工場の匠の技術とかありますよね。その人たちがいなくなったら匠の技を継承する人がいなくなる、若い職人達に継承できていない、これは大変な危機だって言ってたんだけど、知り合いのネクステックというモノ作りのコンサルの山田さんという方は「匠の技とか言ってるからダメなんだ」と言ってました。そうじゃなくて今は、ネットワークとかプラットホームというのでモノが動いている時代で、技術力には見える技術と見えない技術とあるわけですよ。見えない技術というのはどういうことかというと、例えばウォークマンとかでスピーカーの穴とかあるでしょう。こういうところでボタンの周りを綺麗に配線が回り込むように作り込んであったりだとか、どうでもいいところに細かい技術が注ぎ込まれている。こんなのフィリップスとかサムスンとかだと四角い穴をただボコボコあけているだけなんですよ。こういった製品はそれくらいのデザインで全然OKなのに日本人は、そういうどうでもいいところを作り込みたくなるわけですよ。そういうのは見えない技術なんですよ。だけどipodみたいなのは見える技術。わかるところに最低限のスイッチが配されている。技術力を見えるところに使うか見えないところに使うかで売れるかどうかがだいぶ変わってくる。「日本人は見えるところと見えないところを意識しないからダメなんだ。だから匠の技なんていらないんだ。」と山田さんは言っていてたしかにと思ってしまいますよね。

ニコニコ動画〜新しいつながり〜」
山道―例えばニコニコ動画だと普通はノイズとしてしか扱われない些細なコメントも全体の表現の一部になったりしていて、それが決定的に動画の雰囲気を変えたりすることが多々あり、あのシステムには可能性があるように感じます。コメントを入力することは皆が簡単に出来るけれどそれが表現に作用するという状態が新しい集合知の形だと思います。
佐々木氏―ニコニコ動画は興味深いですよね。時間が疑似同期していることがすごく楽しい。要するに一体感が得られることが画期的で、つながり方のデザインとして今までとは全く違ったアプローチだけど、あれはとても可能性がある。
鎌谷―2ちゃんねる発の空気感のようなものだと思うんですが、アメリカだとああいったサービスはありますか?
佐々木氏―ないんじゃないのかな。ニコニコ動画2ちゃんねるのノリが全面に出過ぎていて、近寄りにくいという人もいるけれど、コンセプトとしてはすごく面白い。だからアメリカでは2ちゃんねるの空気を排除した形で提供したら流行るんじゃないかな。
鎌谷―タグの付け方にしてもニコニコ市場でも2ちゃんねるの独特の空気がありますよね。
佐々木氏―あれで面白いのはアフェリエイトだよね。すごく変わったものを売ってるよね笑。「ひぐらしのなく頃に」というゲームの動画で“斧”を売ってたり笑。しかも買った人が二人くらいいましたね笑。
一同―笑。
鎌谷―初音ミクも凄いですよね。
佐々木氏―初音ミクもコンテンツの世界を劇的に変えるんじゃないかと思います。でもあれも結局オタク文化の外には出られていないので、次にはもっと展開していくと思います。普通の人からみたらあまりにクールじゃないよね。笑
一同ー苦笑。
佐々木氏ー普通の人からしたらあの絵とか声とかちょっとついて行けない。
鎌谷―メーカーが宣伝せずとも、ユーザーがUPしてそれを皆で見て喜んでそれを自分でもしようと思って皆ソフトを買うっていうWin-Winの幸せな構図がありますよね。すごく閉じてますけど笑。
佐々木氏ームービーはFlashで作って声は初音ミクで作れるので、コンテンツは完全に自分で作れるというような新しい扉を開いたと思います。そしてニコニコ動画にUPして自分達で楽しむという閉鎖した自己完結した世界があるじゃん。だからやっぱり問題があるとすれば、クリエイトするという行為はやはりマネタイズしなければいけないということだと思います。初音ミクで作ってニコニコ動画でUPするという構図がこのままずっと続いていって本当にいいのか。ひょっとしたら数ある動画のうちで一個くらい完全オリジナルでリアルでヒットするようなものもあるかもしれない。「のまねこ」のように。やはりニコニコは閉じすぎているかもしれないね。
山道―みなさん動画をたくさんUPしているけれど自分の名前を売りたいという思いなんかはどこにも無くて全員で空気を作り出しているように感じます。
佐々木氏―そうなんだよね。すごく内向きの価値観ですよね。
山道―いわゆるクリエーターという意識はあまりないと思います。
佐々木氏―そういう空気が日本のインターネットサービスでは全体的にあって、はてな村もそうだしニコニコ動画も。ある一つのプラットホームが出来ると、そこでみんな内向きい完結してしまって、よそ者を排除するという構図に行きやすいという印象があります。これはどこかでブレイクさせたほうがいいじゃないかという気がします。
山道―そういう傾向は日本独特なんですか。
佐々木氏―なんとなくまわりを見渡す限りでは東アジアはそういう傾向があると思います。欧米とは違う。日本や韓国や中国は文化の構造から共通しているんでしょうね。

「空気感」
佐々木氏―最近注目しているのは「空気感」というキーワード。インターネット上にある「空気感」はその中にいる人間にしか可視化されていない。それでは、サークル外の人間はどうやって可視化していくのかっていうことは重要な問題なんじゃないかと思いますね。ブログってそこがある程度可視化されているような気がしますね。テキストの形式でみんな顔文字なんかも使ったりして。それでもう一段階ですよね。行間から滲みでるような何かを作って、それが言語なのか記号なのかよく分からないですけど、それによって可視化されるものには可能性がありますよね。それはブログだけじゃなくて、それこそ空間だとかメタバースとかそういうものも含めて、そこに漂っている空間をどうやって可視化していくのかっていうことは重要だと思います。できれば「空気感」さえ検索可能になればすごくいいですよね。
g86―それはすごく面白い!
鎌谷―かつて日本にあった「世間」というものはもう無くなって「空気」にシフトしたんじゃないかなと考えていて、例えば最近だと「KY(空気が読めない)」だとかそういう言葉が世代を越えて定着していたりして、現代の社会に「空気」というものがキーワードになってきていることは言えると思います。
佐々木氏―「世間」というのは高度成長モデルであって、みんなが共通基盤をもっている時代の「空気」が「世間」と言われていたんだけども、今は全員が同じ共通基盤をもっていないから、空間がセグメンテーションされて、小さくなっているんですよ。それぞれの中にある「世間」に小さい「空気」であるだけで。そこでみんなが共通の「空気」ってあり得るのかどうかとか、そういう小さなセグメントと隣のセグメントが滑らかにコミュニケートできるのかどうかとか、色んな問題が起きてきて、そういう状況になってきたのはここ10年ぐらいの話だね。80年代はみんな同じ共通基盤をもっていて、やっぱり97年ぐらいが境になっていて、それ以降は新しいモデルを作り上げないといけないんだけどまだそこがしっかりと基盤が整っていないというのが現状だと思いますね。97年に何があったかっていうと山一証券が倒産して、通貨危機が起きたんですよね。
g86―なるほど。
佐々木氏―戦後経済の枠組みが消滅した年なんですよ。その数年前の93年には自民党が野党になったり、高度成長モデルが終焉したんです。だから97年を境に「世間」が「空気」に変わったと言えると思います。その新しい社会がどうやって我々の恒久性みたいなものを形成していくのかっていうことがすごく重要な問題だと思います。だから「国家の品格」とかが売れるのは昔を懐かしむ気持ちがみんなにあるからだと思いますね。「3丁目の夕日」だとか。
小林―そのようにインフラが劇的に変動しているこの時代で佐々木さんはジャーナリストとして、どういうスタンスで、どういうことを目指してらっしゃるのですか。
佐々木氏―それはさっき言った「空気感」なんですよね。「空気感」が何をやろうとしていて何を目指しているのか、どういう風に作り上げられているのかとか、「空気」の中にいる人たちは自覚していないわけですよね。その「空気」を活字として固定化する作業をやっているということですね。それが自分の仕事かなと思います。僕にとってジャーナリズムっていうのは時代の「空気」をいかに言葉として定着させていけるかどうかっていうそこのトライアルの連続ですね。
小林―新しいことは下の世代から生まれることが多いと思うのですが、そこでのご自身とその世代間の価値観の相違などで理解に苦しむ事などありませんか。
佐々木氏―僕は今46歳。ネットで活躍している人っていうのは、40代はほとんどいないんですよ。だからそもそも同世代感は無いんです。あまり僕はそういうことは考えない。いかに冷静に分析できるかということに尽きると思いますね。今ケータイ小説の取材をしているんだけども、僕は別にケータイ小説は好きじゃない(笑)ケータイで書いたり読んだりしている人が何を考えているのかっていう時に分析していけばそこから何かが見えてくる。ケータイにのめり込んでいる中高生と僕との相違でいうと、彼らは「空気感」とかに対して身を持って体験していて強いわけですけど、彼らには歴史感とか社会感は無い。僕の方がそれはある。だからそこに基づいて、何でここにこんなモノが存在しているのかっていうことを分析していく。それこそがジャーナリズムですね。
g86ーなるほど。
坂根―私はg86に途中から参加したんですけど、ここの3人はネットに関して強くて、私はそういうことに割とうといタイプだったんですけど、インタビューするにあたって、佐々木さん書かれた「ネット未来地図:ポスト・グーグル時代 20の論点」を読んで、本当に目から鱗がでるくらい面白くて、彼らの話している言葉にもかなりついていけるようになりました。
佐々木氏―知った気になれるでしょう(笑)
一同―笑
佐々木氏―断片的に色々なサービスがあってそれを楽しむっていうことは誰でもやってることなんですよ。断片的に存在するサービスがどういう風に社会の中で有機的に繋がっているっていうことを解き明かすっていうことは重要な作業なんですよね。
g86―なるほど。今日は貴重なお話を本当にありがとうございました。
佐々木氏―またいつでも遊びにきて下さい。