vol.20 構造家 金箱温春

Kanebako Yoshiharu
1953 長野県生まれ
1975 東京工業大学 工学部建築学科 卒業
1977 東京工業大学 大学院総合理工学研究
社会開発工学専攻 修了
1977 - 1992 横山建築構造設計事務所
1992 金箱構造設計事務所 設立

2009年7月に開催した東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。



「個別性と普遍性を架橋する」

聞き手:鎌谷潤(g86),東克彦、キムヒョンス、重田淳



「説明を求められる時代」
鎌谷|金箱先生が学生だった時代、その当時の時代背景や東工大の印象はどのようなものでしたか。
金箱|当時の東工大はデザインもさることながら、構造等のエンジニアの学校という意識が強くありました。1971 年に大学に入りましたが、1964 年に東京オリンピック、1970 年に大阪万博があって、新しい技術で超高層や大空間が作られはじめ、日本全体がそういう技術革新によって新しい時代に向かおうという勢いがありました。今もそうだけど、他の大学に比べても構造の先生方が充実していて、様々な新しい研究が試みられていましたね。私も研究室では、実験と研究に明け暮れる日々でした。
キム|卒業研究ではどういったことをされたのでしょうか。また、それを金箱先生の中でどう位置づけておられますか。
金箱|鉄骨の梁が塑性変形を繰り返し受けた時の安定限界と部材形状の関係についての実験をしました。卒業研究では、研究そのものよりも、様々な事象から一つのテーマを見出し、それを自分なりにまとめ、公に説明し表現するということについて、大変勉強になったと思います。
それは卒業設計でも同じで、学生の訓練としては重要なことだと思います。なぜそれが必要かと言うと、多様化してきた現代においては建築家も構造家も説明する事が求められています。昔は専門家が言う事は絶対だったけど、今はそういう時代ではなくて、建築家はあらゆる場面でプレゼンテーションをしてクライアントや住民に理解してもらうことが必要な時代になりました。構造家が説明する場面が増えてきています。プレゼンテーションやディスカッションができる、そういった様々な事に対応できる能力が必要とされているんですよね。
鎌谷|なるほど。それは他のインタビュイーの方々のお話に通じる所があります。高橋晶子さんはある時に説明可能性の壁にぶつかったと仰っていたし、坂本先生は「昔は何か作れば良いとされてきたが、今は周りの建物もある程度良いものがある。だからその中で勝ち残るには説明していかないといけない。そういう意味で今は昔と比べとても厳しい時代なのではないか」と仰っていました。
金箱|ものを説明したり表現する時にそれが何であるかを考えることが大事だと思います。昔はある条件に対して答え、出来たものがまとまっていればそれで良かった。しかし、今はそれが社会に対してどういう意味があるのかを必要とされる時代になっていると思います。その点を卒業設計や研究で学んでもらいたいですね。
「飛んでいる鳥を撃ち落とす」
重田|東工大を卒業され、その後、構造事務所に入られたそうですが、その頃のお話をお聴かせください。
金箱|卒業後は、日本で初めて民間の構造設計事務所を始めた横山不学先生の事務所に入りました。そこでは様々な仕事を経験してきたわけですが、最大の転機となったのは水戸芸術館を担当したことですね。

[fig.1] 水戸芸術館( 設計: 磯崎新アトリエ 構造: 木村俊彦構造設計事務所)
磯崎さんがデザインを、木村俊彦さんが構造設計を行い、僕もこれに参加することになるんです。これをきっかけに、木村さんから色んなことを学びましたが、その中でも木村さんが言われたことで印象深いことが二つあります。僕らは建築家と打ち合わせをするでしょ。それで、
検討して次の打ち合わせに行くと当然案が変わっているじゃないですか。昔はコンピューターがないから相当大変な時代でした。そんな時に木村さんが「君たちは飛んでいる鳥を撃ち落とすのにどこを狙って撃つんだ。今飛んでいる所を撃ったって当たるわけはないんだから、どっちに動くか先を読まなければならない」と仰ったんです。それはその通りなんですよ。今でも思うのだけど、打ち合わせの時に建築家が図面を用いながら説明することは考えていることの断片であり、そこからどういう方向に行きたいのかを把握しないといけない、そういう会話をやるべきだと。もう一つは「三遊間のゴロはサードが捕るか、ショートが捕るか」という言葉です。つまり建築をデザインで決めるか、構造で決めるか分からないことがあり、それらは並列的でどちらが決定してもいいということの例え話なんです。この考えはとても新鮮に感じました。領域が横断的になってきている現代社会に対しても、この言葉は非常に的を射たものだと思います。


[fig.2]京都駅
「建築家とのコミュニケーション」
東|構造家はそういう建築家とのコミュニケーションが重要だと思いますが、どういったところにその面白さを感じられますか。
金箱|建築家が何かを考えて来て、要求された通りに設計すれば、ものが出来てしまうこともあるんですよ。だけど、自分の中でどういう仕組みで成り立たせるかを整理出来ていないと気持ちが悪いですね。構造家から「構造的にはこういうことですね」と組み立てを説明して、建築家もそれを理解してくれて、それがもっと面白いところに集結することがある、そういう時がとても刺激的で面白いですね。ただ、アイデアが完成するまでは大変ですよ。建築って最初と最後は楽しいけどその間の作業は大変ですね。笑
キム|坂本先生がデザインを担当して、金箱先生が構造を担当した網津小学校[fig.3] の場合、最初は梁が逆梁で、ヴォールトも太かったのですが、議論の重ね合いで最終的にはスレンダーなヴォールトになりましたね。

[fig.3]宇土市立網津小学校( 設計: アトリエ・アンド・アイ+坂本一成研究室 構造: 金箱構造設計事務所)
金箱|そうそう。最初はヴォールトの天井が連続した、壁が全くない開放的な空間を作りたいという要望があったので、ヴォールトの屋根に逆梁が付いていたんです。しかし、よく考えてみたら一部のヴォールトをフラットにしたり、柱を太くして片持ち柱の役割をはたせることでヴォールトにかかる水平力を少なく出来ることに気付いて、結果今のようにスレンダーなヴォールトになりました。でも、設計している時は様々なアイデアが浮かぶのですが、検討してだめな場合もあり、実際には右往往していた感じです。今改めて整理すると理にかなった展
開をしていることが分かるんですけど。
重田|やはり、解答というのはそれに向かって一直線に進んだり、一つでは無いんですね。
金箱|そうですね。よく思うんだけど、同じ解決法でもプロジェクトによってそれが相応しいか相応しくないかがあります。建築ってそのとき作る場所とか、その施工に関わる人たちによって使える技術と使えない技術がありますね。作り方はいくらでもあって、それによってデ
ザインが変わる場合もありますよね。
キム|時には建築家がやりたいことと構造家が求めている合理性がぶつかる場合もあると思うのです。
金箱|構造の合理性を重視しなくてもいい建築っておそらくあると思います。建築家に構造的にはこのようにした方がいいよと言っても、どうしてもデザインとしてこうやりたいということもありますよね。もしかしたらこの建築家が言う通りにやったほうが良いものになるかもしれない。問題はもうコストだけです。そんなことで決めるのかと思うかもしれませんが、最後の判断はそこにあるわけです。ただ、建築家が要求したことに対して、構造的な解決法を出し、コストがプロジェクトの予算の範囲内に収まっていれば、構造家としての責任は果たしているというのは最低条件で、さっき言ったようにもっと刺激的な関係を作りたいと考えています。
「構造とは個別性と普遍性を架橋する行為」
東|学部の構造の授業ではそういった建築家とのやりとりやコストの話など現実的な話にはあまり触れていませんが、今先生が大学で伝えようとしていることはどういったことですか。
金箱|学部時に学ぶ基礎学問は重要です。実務を経験してみると、特殊な構造の形式においてもそれは基礎の積み重ねであるし、ある種の単純化したモデルで理解できるということが分かります。それをもう少し若い人たちに伝えられると良いなと思っています。特殊なことを理解でき、実現することの面白さがあるから、構造設計は大変なことを乗り越えて行うわけです。ただ、実際の建築と基礎理論のつながりとか関係とかは実はすごく難しくて、一般論として説明できない部分もあります。意匠のデザインは個別性が高く一般論は難しいという前提で、建築デザイン論が構築されたら議論されたりしているかもしれない。構造は普遍性を持っていることが特徴ですが、ものを組み立てていく過程においてはやはり個別性が強いものです。構造技術という普遍性の多いこととデザインという個別性の多いことを一緒にやることが構造のデザインなんだということを伝えていきたいなと思っています。もう一つは社会的な環境整備です。姉歯事件を契機として世の中の認識や制度が変わり、構造設計者やその仕事ぶりが注目されるようになってきています。そういう状況に対して、構造家と社会がどのように付き合っていくのかという道筋を作っていきたいと考えています。

[fig.5]interview風景
「学生へのメッセージ」
鎌谷|最近は、周りでも構造家を目指す人が増えています。そういう人たちに向けてメッセージをお願いします。
金箱|建築の構造設計やる人は、建築のデザインも理解できないとだめだと思います。さっき言ったように飛ぶ鳥を撃つわけだから、ある程度建築家の考えていることを理解できないといけない。だから設計製図を学べるそういう環境にいるわけですから、建築デザインの方に進
まないとしても、それを一生懸命やることはすごく重要だと思います。それに、人間の運命って自分で規定できない部分もたくさんあります。僕も、人との出会いとかプロジェクトとの出会いとか偶然の積み重ねで今日まで来たようなもので、その時々で自分にできることを精一
杯やること、やり続けることが大事だと思います。
一同|今日はありがとうございました。_