vol.26 Claesson Koivisto Rune


Claesson Koivisto Rune

1995 スウェーデンストックホルム芸術工芸デザイン大学で学んだ後、Mårten Claesson、Eero Koivisto、Ola Runeの3人でClaesson Koivisto Runeを設立。
2004 スウェーデンの建築家として初めてベニスビエンナーレに出展
http://www.ckr.se/

建築を始め、数多くの家具メーカーにデザインを提供する等、世界的に活躍するグループ。日本でも京都にあるスフェラ・ビルで建築デザインを手がける。


今回はストックホルムからの更新です。
スウェーデンのデザイナーClaesson Koivisto Runeにインタビューをしてきました。

インタビュー内容(以下、敬称略)
聞き手:坂根みなほ(g86)、田邊 都(Claesson Koibisto Runeにてインターン

「Claesson Koivisto Runeのスタイル」
坂根|まずお聞きしたいのは、Claesson Koivisto Runeの働くスタイルについてです。コンストファック(スウェーデン国立芸術工芸デザイン大学)の学生時代に3人が集まってClaesson Koivisto Runeを始めたのですね。グループで活動することについてどう思われますか?なにか方法論はありますか?
モーテン|私はグループで活動を始めようとは思っていなかったし、正直どうしたらいいのか分かりませんでした。でもそれは人生における沢山の出来事のひとつとして起こったのです。
 私たちはもちろん違う個性を持っています。おそらくMiyako(田邊)がそれについては知っていると思うけれど、実際私たちの間には決まった役回りはありません。だから私たちに会った人々は誰がボスなのか分からず少し混乱しますね。そして問題は誰もボスではないのです。私たちは全員がボスで(笑)、可能な限り私たち3人以外のスタッフも含めてボスだと思うようにしています。ヒエラルキーをなくすことは創造において最もポジティブな立場だと思います。なぜならヒエラルキーは軍事のなかで一番良くはたらくから。でも創造においてはこれはネガティブです。いいアイデアを思いついた人はそれをみんなに提案できる。もしアイデアが良かったらそれが最初誰のアイデアであろうと実行される。それと同時にここでは誰もが何でも批評できます。

坂根|なるほど。そして最初のプロジェクトはコンストファックでのディプロマでしたよね?
モーテン|いいえ、実際はあれが最初ではありません。私たちはいくつかの学生コンペに勝ったことをきっかけに一緒にコンペをするようになり、三年生の時にスウェーデンに森をもつとても大きな紙工業会社から依頼を受けました。それは彼らのヨーロッパ中にある営業所をデザインするというものでした。私たちはまだたった3年しか学校にいなかったので何も経験がなかったのですが、この依頼を受けてからバルセロナに始まり、ウィーン、ロンドン、コペンハーゲン、そしてストックホルムでデザインをしました、それも一年の間に。そして彼らに「君たちは私たちの会社に登録してくれ、そうするしかほかにないので」と言われて、まだ学校にいながら会社に登録したのです。
 だから私たちがディプロマの”Villa Wabi”をSergelstorgetで行ったときはすでにこの会社があったのです。あれは1994年のことでしたが、この年は大変な不景気で知られています。50%の失業率で新卒はほとんど職を得ることが出来ませんでした。しかし私たちにはこの会社があったので、つまりやってきたことを続けたのです。そして問題は私たちには経験が無かったことです。建築のプロジェクトをどう行ったらいいのか。自分たちのやり方を見つけなくてはならない。私たちが今日やっていることは、そうして独自に考えたものです。


Villa Wabi(Stockholm,1994)

「プロダクトデザイン」
坂根|プロダクトのプロジェクトも多いですね、そしてコンストファックのプロダクト教育はとても素晴らしいと思います。コンストファックからのバッググラウンドについてどう思いますか?
モーテン|私はいつも、最初から建築家になろうとしてきました。だから私にとってコンストファックはプロダクトデザイン、特に家具デザインを含んだ、建築教育といった感じでした。そして正直に言えば、教育は素晴らしくはありませんでした。教授陣のレベルがよくなかったのです。でも意欲的な学生なら自分で良い教育をつくりだせる。コンストファックにはたくさんのワークショップ(作業出来る場)があり、そんなに学生も多くなかったので、私たちは毎晩作業していました。それがコンストファックの素晴らしいところでしたね。それから私たちは数年間のあいだに百以上ものインテリアのプロジェクトを行いました。そういったものから人間的な空間性の感覚を得たと思います。
 私たちにとってプロダクトデザインは常に建築の一部です。歴史を振り返ってみると、とくに北欧では多くの家具が建築家によってデザインされてきました。そういう意味では私たちは伝統に従っているだけなのです。北欧を例にすればもちろんアルヴァ・アアルトヤコブセン、ブルーノ・マットソンなどがいますね。私たちにとって家具は建築です。インダストリアルデザインの人たちと話していると、私たちの家具は建築を考えながらつくられていることが分かるとよく言われます。建築に関係づけられ、建築の中におさまることが考えられていると。
だから、逆に言えば私たちのプロダクトデザインはとても建築的なのだと思います。

「プレハブ住宅の可能性」
坂根|そうやって入れ物と中身を同時に考える事はとてもアクティブだと思います。
そしてプレハブ住宅のプロジェクトもあると思いますが、これはプロダクトとしての住宅のように考えられますよね。
モーテン|ええ、そのとおりです。もう既に言ったかもしれないけれど、私にとってプロダクト、家具デザインも建築です。だから家も家具も建築で、スケールの違いがあるだけです。
また、市場や関わる人の違いもありますね。
 プレハブ住宅において敷地との関係が欠けてしまうのは確かです。でも残りは純粋な建築です。空間性、素材、その他ありうる項目についての決定は同じなので、そんなに違いはないと思います。クライアントとの関係に欠けるということもありますが、家をつくるときは製造者というクライアントとの関係がああります。そしてそれが繰り返されれば、私たちは多かれ少なかれプロセスを削ることが出来る。
 私の教授が言ったのは、「建築を見てみなさい。私たちは一つの家のために百もの図面を描く。そしてそれは高度に発達した技術をもつ大量生産品をつくるための情報と同じ量なのです。私たちはそれをひとつの作品のために行うのです。」だから、そういった意味で私はプロジェクトを繰り返したらどうかと思うのです。これは非常に創造力、エネルギー、時間を必要とする建築プロセスです。それを繰り返すのは面白いと思う。一般的な考え方ではないけれど、そういったことも考えていいと思います。

「東京、ストックホルム
坂根|東京での住宅プロジェクトを考えていると伺ったのですが、東京に家を建てることをどう思いますか?
モーテン|基本的には同じように考えます。違うパラメーターがあるのはいつものことでしょう。それぞれのプロジェクトに新しいパラメーターがあります。経済的なパラメーター、クライアントのパラメーター、敷地のパラメーター、文化のパラメーター・・・。東京には何度も訪れたことがあるので知っていますし、理解すれば問題はありません。
 東京で周辺との関係について少し大切だと感じた事を言うと、たとえその敷地いっぱいにとれる形をとって、最大限に空間を使おうとしたとしても、それを詩的に解くことは可能だと思います。その周りにあるものと詩的な関係のようなものをもつためにはね。


SFERA BUILDING(Kyoto,2003)

坂根|ストックホルムはとても保守的で、新しい建物をここに建てる事は東京に比べたら難しいと思うのですが、ストックホルムについてどう思いますか?
モーテン|東京の建物の平均年齢は十年かそこらだというのを読んで驚きました。ストックホルムの建物の平均寿命は二百年です。それは土地がそこに建つ建物よりも価値があるのでそういった経済的な状況として考えるべきことだと思いますが、文化としても考えられると思います。変にきこえるかもしれませんが、年齢そのものは価値だと思います。でもそれはまたヨーロッパの街をとても保守的にしている。でも街は違うものです。ストックホルムは美しいし、私でもそれは守るべきだと思う。ストックホルムで建築家になるのはとても難しいことで、基本的にはストックホルム以外の場所に仕事を見つけなければなりません。でもマルメやヨーテボリは同じスウェーデンの街ですが多かれ少なかれ保守的ではなくなってきています。だからストックホルムももしかしたら変わるかもしれません。
 ただ私たちは世界中で活躍することを目的としているので、ストックホルムの状況には依存していないのが実情です。私たちはどこでも働けます。

「新しいタイポロジー
坂根|ここで少しプロダクトの話を伺いたいのですが、いくつかのプロダクトには、人々に普段とは違った使い方を促すようなデザインもあると思いました。例えば、椅子のようでテーブルでもありうるような。
モーテン|私たちは進化したいのだと思います。それはおそらく原動力のようなものでしょう。新しいものを見つけることへの野心。デザインはすでにある分野、タイポロジーの中において新しいものを作るのがそんなに難しくなくなってきたと思います。だからこんどはタイポロジーを変え、新しいタイポロジーを見つけるのです。
 十年前、私たちはカッペリーニ社のためにPEBBLESという家具を作りました。これは新しいカテゴリーで、というのもソファでも椅子でもテーブルでもなく、seating island(座る島)といわれています。これは新しいタイポロジーのようなものでした。座れる平らな面の少し上により小さな面がのっていて、これが肘掛けのような、サイドテーブルのような、したいようになんでもなりうる。そしてこの二つの面はどちらも不規則な形なので角度を変えることもできる。つまりこの上で何でも出来てしまうのです。


PEBBLES(2001)

坂根|なるほど、実際私はDODO(Claesson Koivisto Runeのプロダクツのひとつ)がすごく好きです!
モーテン|ええ、DODOも同じことです。私たちは東京にいる友人に何かデザインするように頼まれたのです。床に座る席を持ちながら背もたれを持たない伝統的な日本料理屋なんかに依頼されたら素晴らしいのですが、ヨーロッパにはそのような市場がありません。好きなのですが、私たちは床に座らないのです、基本的には(笑)。だから私たちは典型的な西洋のオフィスチェアを融合させることにしました。だからこれはオフィスチェアのように回転できるのです。そして座り方によってはサイドテーブルとして使える部分があり、パソコンを置いたり本や紙を置いたりすることが出来ます。これは日本にとってもヨーロッパにとっても新しいコンセプトでした。クライアントのひとつはソニーの東京本社ゲーム部門で、それ以来内装が変わったか分かりませんが、彼らは大量のDODOを社員のために買いました。こうやってひとつの作品がただのショーのためなどに制作されるのではなく実際に彼らの働きかたに適したのは素晴らしいことです。
坂根|そしてもちろん、たくさんのDODOが集まると本当に鳥の群れに見えるのが面白いですよね。
モーテン|ドードーが何か知っているね!
坂根|もちろんです。家具の周りになにか物語がみえるような気がするし、それが空間を特別なものにしていると思います。
モーテン|そうですね。


DODO(2002)

「建築とプロダクト」
田邊|私はここで働きながら、形について考えていました。それは、建築の形を物体を扱うように少しずつ変形させたりするようなことがあるからです。建築とプロダクトの形のデザイン違いについてどう思いますか?
モーテン|そうですね、違いはあると思います。スケールは特に重要だと思います。
 例えば東京のアサヒビルはほとんど物体で私は建築ではないと思う、これはデザイナーが建築を理解しない典型的な例だと思います。また逆のこともある。例えば私はフランク・ロイド・ライトのファンなのですが、彼の建築はとても素晴らしい。彼は家具のデザインも多くこなしましたが、それらについては私は全然素晴らしく思えません。あれは家具にしてはあまりにも複雑すぎる。これは建築家が建築とプロダクトデザインの違いを理解しなかった例のひとつですね。これはとても重要なうえに、おそらく経験によってのみ学べることだと思います。そして建築は空間的にはより複雑だし、経済的にも、クライアントや建設業者との関係などどれをとっても複雑です。そしてまた建築規制やエネルギーの規制、プロジェクトに影響するありとあららゆるものがあります。
 しかし一方でミース・ファン・デル・ローエは「いい椅子を作るのはい高層建築を作るよりも難しい」と言いました。つまり椅子をつくるのも、その限られた空間のなかで、ある高さの座面と、ある高さの肘掛けをもち、安定性があり普通は四本の足がある・・・などということを考えればとても難しい事なのです。それにくらべたら家はもっとオープンです。つまり、違いはありますが、概念的には、また空間との関係においては間違いなく同じ芸術形態と言えますね。

「アート・ギャラリーの設計」
田邊|微妙に形を変えて沢山の模型を作っていますが、どうやってその微妙なラインを決定しているのですか?
モーテン|特に住宅プロジェクトについてということですね?それは敷地特有の問題です。また私たちはいくつものプロフェクトに折り曲げることと角度をつけることをテーマにもっているのではないかと思う。まっすぐなものがどこか折り曲げられたりね。しかし私たちはもしかしたらそういうのに飽きたのかもしれない、やってきたことを繰り返すのではなく、違う方向性に挑戦してみたくなりました。
 私たちはアートギャラリーをつくったのですが、これは裏がへこんだ屋根をもつボックスのようなものです。そして、そこに生えている草は一メートルくらいでした、普通は刈られて新しい建物を建てるでしょう。こういった草原はもはや海のようです。そこには水平線があり、景色が広がっていて、水面ではないけれど水面のように見えます。そこで私たちはギャラリーの中にいながら草原の上を歩いているような感覚をつくろうと考えました。そのためにフロアを同じ高さにもちあげ、丸い丘のような形の基礎を建ち上げました。そして新しい水平線をつくる代わりに、家のフットプリントを丘に沿わせ、バランスをとるためにその逆のことを屋根でしたのです。さらに、家が四角くないのでそれをゆがめました。このギャラリーには基本的には四つの大きさの異なる展示室があって、それぞれの立面の壁には玄関と窓があります。私たちはこれらの部屋を少しずつ、90℃ではないのですが、ずれたような斜めの通路でつなぎました。これはその場では分かりにくいですが、空間に緊張感のような質を与えるものだと思っています。


Art gallery

「今後の展望」
坂根|最後に、これからのClaesson Koivisto Runeの展望をお聞かせください。
モーテン|そうですね、何と言ったらいいか、確かなこととして言えるのは死ぬまで続けるだろうということですね。そして進化し続けていたいです。そうでなくては続けていくことが出来ません。だから今やっていることがさらに良くなればいいと思いますね。
坂根|今日は本当にありがとうございました!


インタビュー風景(Claesson Koivisto Rune Office in Stockholm)



(following in English)

"The style of Claesson Koivisto Rune"
Sakane: Firstly, I want to ask about the working style of Claesson Koivisto Rune. You started your work when you were student in Konstfack, and three students started together.
What do you think about work in a group, do you have any methods?
Mårten: I didn’t have an ambition to start to do in any group, in fact I didn’t know what to do. But it just happened like many things in a life.
We are of course different personalities. And I’m sure your friend Miyako can tell you about it but we don’t really have fixed role in this relationship. So people who come to us do get a little confuse, because they are not certain about who is the boss. And the matter is there is no one who is the boss. We are all the boss together and we have tried as much as possible to include the staffs in this, I mean the other people except the three of us, in this mentality. I think it is the most positive ground for creativity, to try to do away with hierarchy. Because hierarchy works very well in the military. But in creativity this is actually negative. Anyone with a good idea should feel encourage to bring up to all. if the idea is good, it will prevail regardless of who came up with the idea from the beginning. At the same time I mean anyone can criticize anything here.

Sakane: Okay, and your first project was your diploma work in Konstfack?
Mårten: No, well actually, it wasn’t really the first project. We put it couple of competitions, student competitions that we won, and this is how we started to make competitions together and then by the 3rd year we actually got a commission from a very large corporation in Swedish forest owner and paper manufacture.
And it was to design their sales offices through out Europe. And we were in only 3years in our school so we didn’t have any really experience, but we got this commission, and we ended up design their office in Barcelona which was the first one, and Vienna, London, Copenhagen and Stockholm in one year also. And they told us this is the measure corporation, one of the world largest owner of forest, so they said to us, “You have to register company because we can not deal with this otherwise”, so we registered a company together while we were already at school.
So when we graduated and we did this degree work which was the “Villa Wabi” on Sergelstorget we already had this company. And this was in 1994 and this is very similar to today, it was very very bad recession. It actually was for architects. There was 50 percent of unemployment rate. So newly graduated you have absolutely no chance of jobs. And we didn’t even try, but we have this company. So, you know, continue doing what we have been doing. The thing that matter was we have no experience, in architecture how to deal projects. You have to find your own methods. We have created our own way of working I think, which is what we do today.

"Product design
Sakane: You also have many product projects, and your school, I think Konstfack also has a good education for products. What do you think about your background from Konstfack?
Mårten: Well, I think I always aim to be an architect from the beginning, so for me Konstfack was the type of education, just a sort of architecture education that includes product design specifically furniture design. And I think, to be quite honest, the education was not fantastic. The level of the professors were not good.
You can create your own education which is fantastic if you belong to the students that were very ambitious. There was a lot of workshops and there were not too many students, so we worked all the nights. That was fantastic about Konstfack. And in that school we did about over hundred interiors in just a few years, extremely amount of projects. From that I think we got good sense of spaciality that is related to the human being.
And the product design, to us it is always a part of architecture, and if you look back in history specially in the Scandinavian, most of the products of furniture were designed by architects. So we are just following this tradition in a sense. If you look the Scandinavian examples you have of course Alva Aalto, Jacobsen , Bruno mathsson. For us, furniture is architecture. And when we talk to people in industrial design, quite often they tell us just like our furniture design is, you can sort of sense that it is made with the architecture in mind, that it is related to architecture, it fits inside of an architecture.
So I think our product design is very architectural, rather than other way around.

"Possicility of prefabricated house"
Sakane: I think to design container and contents together like you do makes you really active. And you also have prefabricated house project which seems like house as a product.
Mårten:Yes, you are right. Although I think, perhaps I already said, for me, product or furniture design is architecture. So Houses and furniture are architecture. They are just a little bit different scale. Also there are some differences in a market and people that are involved to it are different.
It is true that we kind of lack the relationship with the site, if you have a prefabricated house. But the rest is purely architecture, I think it is the same decisions about spaciality, material and what else you have, I don’t find it very different. I find we also lose the kind of client relationship. But when we do the house, we have the client relationship with the manufacture. And then when it is repeated, of course we more or less cut off the process.
. But I have to say you know, as one of my professor said, “Look at architecture, we make a hundred drawings perhaps for a house. And it is the equivalent of making highly-advanced technical mass produced object the amount of information that you have to prepare. We do it to produce a one piece.” So, in that sense I think why not try to repeat this project. This is very kind of creativity, energy, time-consuming process architecture. And maybe you could find a way, if you found some quality in it, some essence, I think it is interesting to repeat it. Not as a general idea for an architecture but you could also include this, I think.

"Tokyo, Stockholm"
Sakane: I heard about that you are going to do some house projects in Tokyo. What do you think about building a house in Tokyo?
Mårten: Well, I think it is basically the same. You have different parameters but you always do. Each project that you deal with, you have new parameters to deal with. It could be the economical parameter or it could be the client parameter or it could be the site parameter and the cultural parameter….I know because I have traveled a lot to Japan and I can deal with this if I understand it.
In Tokyo, maybe try to introduce a slight sense of importance of the exterior relationship to the surrounding, even if you want to maximize the place that you can take in the air, you want to maximize the use, I think it could be possible to try to do that in a poetic way. So that the building has some sort of poetry relationship to the things around.

Sakane: I think Stockholm is really conservative and it is hard to build a new building here, compared to Tokyo. What do you think about Stockholm?
Mårten: I read about the average age of the building in Tokyo is ten years or so. That is amazing. The average age of the building here is probably two hundred years. And I think that has to do with economical situation at land which is so much more worth than the building on it. But it is also about culture. I think age itself is a quality, which is strange if you think about it. But that is also what makes European cities very conservative. But cities are different, I mean Stockholm is beautiful and even I think it is important to preserve. It is very hard to be an architect in Stockholm and basically have to find your work outside Stockholm but I think Malmö or Göteborg are much less conservative already and they are also Swedish cities. So Stockholm will probably change also.
But in this office we have opportunity to work around the whole world so I’m not really depend on the situation of Stockholm. We can work anywhere.

"New Typology"
Sakane: Then, I want ask some about your products. I found some of them are designed to let people act differently from the ordinary way. For instance, something like chair but it also can be table…
Mårten: Well, I guess we want to develop. I think that is probably the driving force. The ambition is to find new things. And design has come to a point that it is not very hard to design something new within a known sector or typology, so what you can work with this is to try to change the typology and try to find a new typology.
Ten years ago we did a piece of furniture called PEBBLES for Cappellini which was a new category because it was not a sofa and it was not a chair and not a table, it was you know, later labeled a seating island. And that was kind of a new typology. There is a one flat surface which you sit on it and second smaller flat surface slightly above which is kind of a armrest or a side table or whatever you want it to be. And you can also rotate it because these shapes are irregular both these flat shape. So you can do anything on it.
Sakane: Yeah, and actually I really like DODO!! (one of the products of Claesson Koivisto Rune)
Mårten: Yes, DODO is the same thing. We were asked by our friend in Tokyo to design something for him. That was fantastic that you could be offered by a traditional Japanese restaurant and if you found they have seat without backrest but still on the floor, but this is something that is impossible in marketing in Europe. I mean people love it but there is no market because we don’t sit on the floor, basically. So we took the typical category of western office chair which is work chair, and we combined these things too. So Its revealing like an office chair so you can rotate it. And you also have the additional little table depending on how you sit on it and you can put your laptop or book or paper something like that. And it was a completely new concept for both Japan and Europe at the same time. One of the clients, the game section in Sony bought it for the main office in Tokyo. I don’t know if they changed the interior since then but they bought a large number of them for their staffs, which was fantasitic you know, it was not just one piece for a show or something but it was suitable for their work philosophy.
Sakane: And of course what was interesting about that furniture is when many DODO are gathered, it looks like real bird flock.
Mårten: You know what the dodo is!
Sakane: Of course. We can find a story around the furniture and it makes the space special.
Mårten: Yeah.

"Architecture and product"
Tanabe: While I was working here, I always thinking about the shape, because you change the shape of architecture slightly like handling the object. What do you think about the difference of the shape between architecture and product?
Mårten: Okay, I think there is a difference, I think scale is extremely important.
For example Asahi building in Tokyo is absolutely object and it is not an architecture I think this is the typical example of designer not understanding an architecture. And you can see the other way around also. I’m a fantastic fan of Frank Lloyd Wright for instance. His architecture is fantastic. He also did a lot of furniture designs which I don’t find at all it fantastic. Because they are too complex for the piece of furniture. So that was an example of an architect not understanding the differences in scale between architecture and design. I think it is very important and probably you can only learn this from experience. And architecture is more spatially complex, and it is also complex in any other way, in economy around the project, in a relationship with clients, builders etc. And you also have a building regulations, energy regulations you have everything affect this project.
But on the other hand Mies van der Rohe said “Its more difficult to make good chair than the skyscraper.” So it is also very difficult, maybe because you have such a limited space to create chair. And chair needs certain seat height and armrest needs to be certain height and it has to have stability that normally you need four legs etc. House is much more open, you know. So there are differences but conceptually and also in a relationship with spatiality It is definitely the same art form, I would say.

"Art gallery"
Tanabe: You make many models changing slightly. How do you decide those shapes?
Mårten: You mean specifically the house projects? That is site-specific thing. I guess also we have been kind of working on the number of project with folding and angular themes, straight things that are folded somewhere or something like that. But we kind of perhaps got a little bit fed up with that and we wanted to try another direction so that we didn’t feel ourselves that we are kind of repeating ourselves.
So we did an art gallery, the project which is this kind of box which has underside concave roof. And the herbage that are growing there were about maybe one meter high that are normally cut down and people build up something new. These kind of farm fields are almost like a oceans. They have horizon and you have long view, it is not a surface but it appears like a surface. So We came up with the idea we wanted to have the sensation of being inside the art gallery and somewhere you have the outlooks, that you are walking the top of the field. So we wanted to elevate the floor to the same level. We had to build up the foundation like a hill .and that hill became round shape. So instead of making a new horizon line on the house we let kind of footprint of the house follow the hill to create very specific shape. And then to balance that, we did the opposite thing with the roof. And then we distorted it because the house is not square. This gallery has four basic rooms, for exhibitions that have different sizes. And each elevation, each wall we have an opening one is the entrance door and the others are windows. We connected those slightly diagonal course inside that creates, it was not 90 degrees but its likely off, which is hard to see when you were there it is just something that slightly which adds kind of tension quality to the space.

"Vision of Claesson Koivisto Rune"
Sakane: Lastly, what do you think about Claesson Koivisto Rune in the future?
Mårten: Well, what can I say, Im quite sure that we will continue until we die. And we hopefully continue to develop, or we need to develop. If we don’t develop it is not keep going. So hopefully I think we do what we do better.
Sakane: Thank you very much!

(all images from Claesson Koivisto Rune)

QR CODE MUSEUM キューアールコード美術館


QR CODE MUSEUM キューアールコード美術館
design by g86(山道拓人+鎌谷潤+中村慶子
先日、お知らせした渋谷の東急文化会館再開発地区の仮囲いを利用したQRコードを用いた美術館の現場写真。







scene

早速たくさんの人に読み込んでいただきました。

QR CODE MUSEUM キューアールコード美術館
新進気鋭のアーティストをキュレーションし、渋谷をテーマにQRコードをキャンバスにして
絵画、音楽、映像、アプリケーション、インタビューと次元を変えて、渋谷の遺産と共に展示します。都市における文化的で現代的な展示空間です。

場所:新文化街区開発地区 期間:2010 / 03 / 13 ~ 2010 / 03 / 22

期間中、渋谷駅地下コンコース内でアートイベントshibuya1000同時開催

主催:shibuya1000実行委員会

共催:東京急行電鉄株式会社/東京地下鉄株式会社_東京メトロ

協賛・協力:株式会社デンソーアイティーラボラトリ

問い合わせ先:shibuya1000実行委員会事務局


map


コンテンツ

☆渋谷に関するインタビュー(協力:渋谷文化プロジェクト)

糸井重里氏(コピーライター/「ほぼ日刊イトイ新聞」編集長)

高嶋ちさ子氏(ヴァイオリニスト)

日比野克彦氏(アーティスト)

内藤廣氏(建築家/東京大学大学院工学系研究科 社会基盤学専攻教授)

蜷川幸雄氏(舞台演出家・映画監督)


☆アート作品

① 安斎利洋

1956年生まれ

システムアーティスト。

武蔵野美術大学基礎デザイン学科、東京大学大学院情報学環早稲田大学文化構想学部、非常勤講師。

http://www.renga.com/anzai/

②大小島真木

1987年生まれ

女子美術大学大学院美術専攻修士課程在籍

http://www.mmm.from.tv/mmm/2.htm


③ 鎌谷聡次郎

1983年生まれ

映像作家。コトリフィルム所属。

http://sojirokamatani.blogspot.com/


④ guillaume yersin & Constance Allen

Mr. GUILLAUME YERSIN

LIVING IN ZÜRICH, SWITZERLAND

BORN 22.02.1981

ARCHITECT-URBANIST ETHZ

Mlle. CONSTANCE LOUISE ALLEN

LIVING IN GENEVA, SWITZERLAND

BORN 30.09.1982

ARTIST


⑤久保田沙耶

1987年生まれ

筑波大学芸術専門学群構成専攻総合造形領域

http://sayakubota.com/


⑥田中至

1988年生まれ

筑波大学芸術専門学群特別カリキュラム版画

http://nikkantanaka.blog67.fc2.com/


中村慶子

1987年生まれ

東京芸術大学美術学部建築科

http://d.hatena.ne.jp/g86/


⑧松島潤平

1979年生まれ

2005年東京工業大学大学院 建築学専攻 修士課程修了

2005年〜 隈研吾建築都市設計事務所勤務

http://www.ne.jp/asahi/studio/lithium/home.htm


⑨mashcomix

1999年結成

漫画家、イラストレーター、デザイナーなどで構成される創作漫画集団

http://www.mashcomix.com/


⑩森純平

1985年生まれ

東京芸術大学大学院美術学部建築科修士所属。

http://potikuro.com/jp/work.html


⑪山田園子

1986年生まれ

2009年多摩美術大学 絵画学科油画 卒業

http://homepage3.nifty.com/pudding-cocco/

御来場お待ちしております!

QR CODE MUSEUM キューアールコード美術館


QR CODE MUSEUM キューアールコード美術館
design by g86(山道拓人+鎌谷潤+中村慶子
渋谷の東急文化会館再開発地区の仮囲いを利用し、QRコードを用いた美術館を作ります。
新進気鋭のアーティストをキュレーションし、渋谷をテーマにQRコードをキャンバスにして絵画、音楽、映像、アプリケーション、インタビューと次元を変えて、渋谷の遺産と共に展示します。都市における文化的で現代的な展示空間です。

場所:新文化街区開発地区 期間:2010 / 03 / 13 ~ 2010 / 03 / 22
期間中、渋谷駅地下コンコース内でアートイベントshibuya1000同時開催
主催:shibuya1000実行委員会
共催:東京急行電鉄株式会社東京地下鉄株式会社_東京メトロ
協賛・協力:株式会社デンソーアイティーラボラトリ
問い合わせ先:shibuya1000実行委員会事務局


コンテンツ

☆渋谷に関するインタビュー(協力:渋谷文化プロジェクト

糸井重里氏(コピーライター/「ほぼ日刊イトイ新聞」編集長)
高嶋ちさ子氏(ヴァイオリニスト)
日比野克彦氏(アーティスト)
内藤廣氏(建築家/東京大学大学院工学系研究科 社会基盤学専攻教授)
蜷川幸雄氏(舞台演出家・映画監督)


☆アート作品
安斎利洋
1956年生まれ
システムアーティスト。
武蔵野美術大学基礎デザイン学科、東京大学大学院情報学環早稲田大学文化構想学部、非常勤講師。
http://www.renga.com/anzai/

大小島真木
1987年生まれ
女子美術大学大学院美術専攻修士課程在籍
http://www.mmm.from.tv/mmm/2.htm


鎌谷聡次郎
1983年生まれ
映像作家。コトリフィルム所属。
http://sojirokamatani.blogspot.com/


guillaume yersin & Constance Allen

Mr. GUILLAUME YERSIN
LIVING IN ZÜRICH, SWITZERLAND
BORN 22.02.1981
ARCHITECT-URBANIST ETHZ

Mlle. CONSTANCE LOUISE ALLEN
LIVING IN GENEVA, SWITZERLAND
BORN 30.09.1982
ARTIST


久保田沙耶
1987年生まれ
筑波大学芸術専門学群構成専攻総合造形領域
http://sayakubota.com/


田中至
1988年生まれ
筑波大学芸術専門学群特別カリキュラム版画
http://nikkantanaka.blog67.fc2.com/


中村慶子
1987年生まれ
東京芸術大学美術学部建築科
http://d.hatena.ne.jp/g86/


松島潤平
1979年生まれ
2005年東京工業大学大学院 建築学専攻 修士課程修了
2005年〜 隈研吾建築都市設計事務所勤務
http://www.ne.jp/asahi/studio/lithium/home.htm


mashcomix
1999年結成
漫画家、イラストレーター、デザイナーなどで構成される創作漫画集団
http://www.mashcomix.com/


森純平
1985年生まれ
東京芸術大学大学院美術学部建築科修士所属。
http://potikuro.com/jp/work.html


山田園子
1986年生まれ
2009年多摩美術大学 絵画学科油画 卒業
http://homepage3.nifty.com/pudding-cocco/



御来場お待ちしております!

synthesis001


synthesis001 design by g86+芝崎郁

先日青山clubeverで展示した作品になります。
アルゴリズムにより連携する光のキューブとそれを囲むアクリルのタワーのインスタレーションです。
a work exhibited by Aoyama clubever the other day.
It is a work of a cube of light cooperating by the algorithm and an acrylic tower where it is enclosed.


複数個用意された光のキューブはその回転角により色を定義され、さらにそれぞれ離れたキューブが無線で光の変化を紡いでいきます。
The color is defined in the cube of two or more prepared light by the turning angle, and a cube away more respectively spins the change in light by the wireless.

その光の連携を、ハーフミラーのタワーが包むことによってその小さなキューブを無限個に増やしたりクラブの内部風景を取り込んでいきます。
The cooperation of the light is taken, and the small cube is increased to infinity piece because the tower of the half mirror is wrapped and internal scenery of the club is taken.

暗いクラブのフィールドにおいて離れた机や異なるクラスターを横断するように連携を取る照明として機能します。
It functions as a lighting that takes cooperation to cross a desk away beyond different cluster in the field of a dark club.



ハーフミラーのタワーの仕上げは光の振る舞いを拡張するように異なる仕上げを施しました。
The finish of the tower of the half mirror gave finish different as the behavior of light was enhanced.


面:最も純粋に反射をする定形
Flat:basic forms that reflect most purely


線:それに線状に切り込み光が染み出すように変形
Line:It transforms it so that the incision light begins to permeate through it like the line.


孔:さらに開口率を上げ、実像と虚像が重なるところまで変形
Void:In addition, the aperture rate is raised, and it transforms it into the place where the real image and the virtual image come in succession.


夜の都市空間の主体である人や光の振る舞いをアルゴリズムによって錯綜させる試みです。
It is an attempt to make the behavior of the person and light that is the subject of the city space at night become complicated by the algorithm.

vol.25 建築家 藤村龍至


Fujimura Ryuji
1976 東京生まれ
2000 東京工業大学工学部社会工学科卒業
2002 東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻修士課程修了
2002-2003 ベルラーへ・インスティチュート(オランダ)
2002-2005 ISSHO 建築設計事務所共同主宰
2003-2008 東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻博士課程
2005 藤村龍至建築設計事務所設立
   東京理科大学首都大学東京日本女子大学非常勤講師

2009年度、東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。

なお、藤村さん率いるTEAM ROUNDABOUTは来る2010年2月6日にイベント『LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2010』を開催します。
僕らg86も当日の議論を収録するフリーペーパーのライブ編集へ駆けつけます!
歴史的な瞬間を目の当たりにしましょう!


「時代を語る建築の理論をつくる」

聞き手:鎌谷潤(g86),山道拓人(g86),坂根みなほ(g86),乾谷翔


社会工学部時代」
山道|藤村さんは学部が社会工学科で、大学院から建築学科に入りましたが、社工当時の建築に対する考えなどから聞かせて頂けますか。
藤村|僕はもともと都市計画に興味があって社会工学科に入りました。神戸の「ポートアイランド」っていう人工島を知ってますか?昔、「山、海に行く」と言われて、山を造成してトンネルを掘ってベルトコンベアで土砂を運んで、そこからタンカーに積んでそのまま海を埋め立てて、港の開発と山の開発を一気にやってしまう、それで終わった後そのトンネルを下水道に使うという一石三鳥な方法が実行されたんですけど、それを考案したという当時の神戸市長の原口忠次郎さんは工学博士でもあったそうです。その話を聞いて、自分がニュータウンの開発の風景の中で育ったこともあり、工学と政治に対する興味から都市計画について考えたいと思い始めました。建築と社工の違いについては丹下健三さんも都市工学科の教授だったし、あまり深く考えていませんでしたが、最近になって建築学を学ぶ前に社会工学を学んでいたことの意味を実感するようになりました。4 年生になって所属した土肥真人さんの研究室ではまちづくりのワークショップ等を行っていて、マクロな計画というよりは、コミュニティのデザインやマネージメントに問題が移っていました。模造紙の上に参加者の意見を記したポストイットを貼り、KJ 法でそれらを構造化して合意形成をはかっていく。具体的なコミュニケーションの技術を駆使して空気をほぐしていくと議論がポジティブで生産的な雰囲気にドラスティックに変わっていく、そのダイナミズムを感じていました。そういった政治的なプロセスとしての空間に興味がわきました。他方で、そのプロセス自体は方法論的なのに、そこから出てくる空間のイメージというのが凡庸だとも感じて、効率も悪いし、固
有性もない。いろいろ疑問を口にしているうちに土肥さんから「もういいからおまえは建築に行け」と半ば追い出され、塚本研究室に大学院から入ることになりました。


修士制作について」
山道|修士制作のファイルを見て面白かったのが、社会的アドレスと物理的アドレスということをおっしゃっていて、そういう見えない居場所と物理的な居場所ということを当時から言われていて、そういう議論は当時はなかったと思うんですけど。
藤村|いや、むしろ90 年代は情報空間と物理空間の関係についての議論は盛んだったですね。ただ、そういうことにも関心はあったけれど、塚本研のM1 ってゼミも無いし、仕事ばかりでアウトプットの場所が無いんですね。それですごいフラストレーションが溜まっているときに、「ネット」という場所を見つけました。
一同|笑
藤村|全然違う建築以外の人とつながりを作って、議論し始めると塚本研でやっていることも整理されて、とても面白かったんですね。M2 になって、研究室の仕事にも慣れて来た頃、TNprobe の連続レクチャーシリーズがあって、ヘアート・ローフィンクというアクティビストのレクチャーを聞きました。彼が問題提起していた
「ネットの環境で公共空間が出来るか」というテーマに刺激を受けて、帰ってきてその日の夜に新しいサイトを立ち上げ、翌日のゼミで発表しました。
鎌谷|それはいつですか。
藤村| 2001 年の5 月。9.11 の直前で、かつその直後に大阪の池田小で児童殺傷事件があったこともあり、塚本先生に「これからの公共空間を考えるなら、小学校を考えたらどうか」と言って頂いて、現代的な公共空間のモデルとして、小学校について考え始めました。

fig.1 修士設計/パブリック・スクール・ブロジェクト


それで小嶋さんや山本理顕さん、工藤和美さんのような小学校を設計されている建築家の方々にインタビューをして、それをネットに公開するようになったんです。それを五十嵐太郎さんが拾ってリンクして下さったりするようになって、徐々に反響が広がっていきました。そうやってインプットとアウトプットを続けながら、小学校のスタディを始めて、情報空間と実空間の関係をその時はずっと考えていたのですが、ある日スーパーに行ったら、あれ、これは二層なのではと。笑
一同|笑
藤村|下が、商品の陳列された棚で、上がサイン。3次元だと思っていた空間が、2次元と4次元に分節されているのではと気がつきました。それを塚本先生に話したら、興味を持ってくれて、色々白熱した議論になったりしたんだけど、結局は建築をうまく作れなくて、仙田満先生も「切り口はいいんだけど、もうちょっと建築的なディテールがあればね」とおっしゃっていました。
山道|今、つくるプロセスとして検索段階、比較段階といったように構造化されてますが、修士制作当時はどうでしたか。
藤村|同級生の人に最近の論考等を見せると、「まだ同じことやってる!」と言われることもあります。修士制作のときは毎週ゼミがあるから、そのペースで毎回1 個ずつ模型を順番に作っていて、その履歴をそのまま最終的にもプレゼしたんですが、最後に「修士制作でプロセスを見せるというのは悪くない」って塚本先生がおっしゃって, 自分なりに何かをつかんだ気がしたんですよ
ね。


「オランダ留学後」
鎌谷|修士が終わって、オランダ留学をした後の話をお聞かせください。
藤村|留学前に興味があったのは、情報と空間の関係とそれが身体にどう関わるかっていうこと。だけど、ベルラーへ・インスティテュート(オランダ)に行ったら、当時EU が出来て社会全体が流動的になっているなかで、「ビルバオ・グッゲンハイム」の成功に刺激されて、地域のアイデンティティを復活するために建築の文化的な力をどう使うかという議論が盛んになされていました。社会工学科のときの卒業論文で調べていたことに近くて、とても刺激的でした。ただ、それらの議論は、最初は面白かったんだけど、だんだんパタンが読めてきて、結局政治の話ばかりしていることに気付いて、1 年後に日本に帰ってきました。でも帰ってきたら帰ってきたで相変わらず「見える/見えない」とか、「重い/軽い」とか、身の回りのことばかり話している。本当は、身の回りの身体性と政治性をつなぐものが「建築」だと思うんですけどね。


「設計と理論をどう繋ぐか」
山道|帰国後はどうされましたか。
藤村|帰国後に塚本研の博士課程に戻り、研究室では「伴山人家プロジェクト」という中国の天津の郊外に別荘地をつくる計画の担当をしていました。設計期間が長かったこともあり、塚本先生はとにかく無数というか永遠にスタディを続けるわけですよ。そこで鍛えられて、かつそれまでの反動がぎゅっと凝縮したのが初めて個人で受けた「UTSUWA」という店舗設計のプロジェクト。完全
にロジカルに、無駄無く作っていったら修士設計の頃の調子が出てきて、徐々に展開していきました。設計と論理をどう繋ぐかということは塚本先生に習ったことで、今の自分は、過剰に説明的だった30 代前半の頃の塚本先生をロールモデルにしているところがあります。それに、もともと都市計画への興味から入ったので、窓辺でご飯を食べることとか、それまでは考えた事もなかったけれど、少しはそういう身体的な想像も多少はできるようになったので、その部分は塚本先生に教わったおかげだと思っています。

fig.2 Building K の設計プロセス


「教育の現場で」 
鎌谷|教育の現場に携わっていることが多くなって、思うことを聞かせて下さい。
藤村|僕は大学院から建築を学んだので、最初は全然図面が引けませんでした。でも、わからないなりに研究室の作業に参加していくうちに、だんだん建築家特有の思考方法とか、作業方法を客観的に理解できるようになりました。だから設計が出来ない子の気持ちも、感覚的に設計をやる人の気持ちもよくわかる。その経験を踏まえ、マニュアル化したのが「超線形設計プロセス論」という方法論です。首都大や理科大日本女子大等の授業で展開しているのですが、落ちこぼれを出さずに建築的な思考のイメージを身につけるにはどうすればいいか、学生と一緒に試行錯誤しています。


「昨今の卒業設計」
鎌谷|昨今の卒業設計についてどう思われますか。
藤村|かなり演劇的になってきて、役者が出て来ていると思いますが、この時代にしてこの卒業設計ありきみたいに、今の社会状況を正確に反映した作品は、まだまだ少ないと思っています。1990 年代以降の社会問題としては「情報化」と「郊外化」という二大コンテクストがある。それをちゃんと繋いだ人っていうのはまだあまりいない。それに、そういうことをちゃんと評価する人もあまりいないように思えます。どちらかというと、見た目のインパクトをがむしゃらに押すみたいな流れがあると思います。「日本一決定戦」は特に演劇的になっていますが、それは実際の建築ジャーナリズムも構造として似たようなものなので、そこで勝負して、自分の攻め方を学ぶことも必要でしょう。
山道|大学を出ると東工大の代表として意見を求められる瞬間がたくさんあると以前仰っていたと思うのですが、そういう場面で語るときの東工大建築に対する認識についてお聞かせください。
藤村|建築を建築の言葉で考えるところが良かったと思います。今は建築家が建築家固有の言葉を失っているように思うので、東工大の環境は救いだと思います。ただ他方で、論理的な純粋性にこだわらずにもう少し自由にやってもいいのかな、と大学を出てから思うようになりました。


「時代を語る建築の理論を作る」
鎌谷|藤村さんのこれからの展開をお聞かせください。
藤村|まずは時代を語る建築の理論を作っていくのが目標です。先日の『思想地図 vol.3』の論文で理論である「批判的工学主義」から方法論である「超線形プロセス」に至る大枠のストーリーはできてきたと思うので、まずそこからまとめて行きたいと思っています。まずこのストーリーを固めて、その後はそれをメディアのレイヤーで展開していき、いつかは教育や政治のレイヤーで活かしていきたいと思っています。
一同|ありがとうございました。

インタビュー風景(事務所にて)

vol.24 建築家 吉村英孝


Yoshimura Hidetaka
1975 愛知県豊田市に生まれる
1998 東京工業大学
2000 東京工業大学大学院卒業
2001 SUPER-OS 共同主宰
2005- 吉村英孝設計事務所主宰
   東京工業大学技術補佐員
2007- 東京理科大学非常勤講師

2009年度、東工大卒業設計展に際して、発行しましたフリーペーパーのインタビュー記事となります。


「話すこと」のひろがり
聞き手:鎌谷潤(g86),山道拓人(g86),坂根みなほ(g86),宮城島崇人


「90 年代の卒業設計」
山道|卒業設計当時の話を教えてください。
吉村|僕が卒業設計をした90 年代の後半は、まず図面を描くツールが変わる過渡期だったことが大きかったかな。いくつか上の先輩からCAD を使う人が出てきて、PC が学生の設計でも特殊なものから一般的なツールになり始めた頃で、時代的にはポストモダンがなんとなく終わったことがわかりはじめて、建築界が共通した目標(大きな物語)を失ったような頃でした。当時は、とにかく新しいものの考え方、特にPC などの違う分野で新しく起こり始めた事を、建築の分野にいかに応用できるかという風に考えていた節はありますね。ただ、いざ応用するとなると、もともと関連性のない分野だから、建築の何に何をどう対応させるかという適用の方法が、内容よりも重要になってしまう。今のプロセスの話なんかでもそうだけど、実際にはプロセス自体よりも扱う対象の選択の方が重要なんじゃないかと思います。語られないけどね。それで構成や空間の形式が選ばれる際には、独立した建築の物語ではなく、条件や環境などを逆に取捨選択する側面があるのではないかと思っていた。そこで卒業設計では、まず道に対して間口を持つという条件と、賃貸の事務所だと床面積が基準になるのに対して、容積を基準とすると何が変わるのかということを考えながらつくっていました[fig.1]。室単位の自由度を保ちつつ、単位の集積としての全体形でもなく、全体形の部分としての単位でもないような、微妙なラインに興味があったかな。
山道|周りの人はどんな感じでしたか?
吉村|今の学生とくらべると、自由だったと思うよ。今は何となく「東工大」を意識しすぎて、距離とるなり似たことをやるなり、不自由になっているかな。
山道|兄弟(兄:靖孝氏)が他の大学にいた影響もありましたか?
吉村|あるかもしれないけど、ほとんど建築の話をしたことはなかったね(笑)当時の風潮として、みんなが共通した目標を持てなくなると、作家性に閉じこもるようになるんだよね、ちょうど企業秘密みたいに。そんな時代だからあまり話さなかったかな。当時の東工大生もあんな製図室があるのに割と閉じていて、話すことが重要だよと教えてくれる人もいなかったし、話すことにどう
いう価値があって、その上で、どうやったらオリジナリティや個人が位置づくのかを考える土壌も無かった。
鎌谷|現代の卒業設計でも、作家性が強く出るものが評価される傾向はあると思うんですけど、対比的にそうでないものも浮き彫りになってきたと思います。
吉村|作家性を求めるのかそうではないか、その方法自体どっちが正しいとも思ってはいなくて、最終的にできたモノを通してどれだけのことが伝えられるかという方が大切だと思う。作家性に閉じながらたくさんのことを伝えている例もあるしね。手法の問題が大きく取りざたされるようになっているけど、閉じることでうまくいかなくなった時に、その壁を破る方法として手法や話すと
いうことがあるくらいでいんじゃないかな。

fig1:卒業設計/ Office for Short Stay


「10 年前の興味」
山道|塚本研一期生となるわけですが、当時塚本研に入ろうと思ったきっかけと当時の様子を教えてください。
吉村|自分が受けてきた教育との違いに純粋に新鮮味を感じたことが一番かな。当時は建築の理論と実践の問題が乖離していて、どちらかだけを語っていても面白くないなと思っていたところに、塚本先生が、あるデザインがどういう効果を生んで、どういう問題や議論に接続しているのかを具体的なところを消さずに説明していて、それが当時とても刺激的でしたね。
山道|修士では吉村さんは実作もつくっていますよね。
吉村|東工大の先生方もかなり若い時期に処女作をつくっていたので、自分も早く建ててみたいというのがありました。それに当時、研究室での設計も、法規から作り方まで、全部ゼロから自分たちで調べてやる様に仕組まれていて(笑)、それなら自分でもできてしまうんじゃないかという勘違いでもあって(笑)ちょうどその頃、留学行く直前だった兄を捕まえて、一緒にやらないかと話を持ちかけました。そこで久しぶりに話をすることになるんだけど(笑)そうするとやっぱり、建築の社会的意義から作家性に対する姿勢までありとあらゆる価値観が違っていて、それはそれでいい経験でした。
宮城島|ダブルテンポ[fig.2] は、条件に対してどう考えるかということがよく表れていると思うのですが、そのやり方は、そのような価値観の違いがあるなかで共有する仕組みでもあったんですか?
吉村|共有するかどうかはあまり問題じゃなくて、考え方は違うという前提だったから、言葉ではなく、モノでお互いが納得する瞬間を目指していました。大雑把に言うと兄が内部から、僕が外部から建物のカタチを決めようとしていて、什器の寸法体形と自動車の寸法体形が斜め45°に振るとちょうどあうと気づいた瞬間に、うまくあのカタチができて、お互いに納得した。この建物は条
件の取り扱いとか、当時考えていたことが割とピュアに表れていると思うんだけど、実際には条件の定義だけでは埋められないところがあって、今はそこに建築の建築らしさがあると思うようになってきたので、そこをもっと追求したいと思っています。

fig2:ダブルテンポ(設計 : SUPER-OS)


「実践的素振と理論的打席」
鎌谷| SUPER-OS の時は理論と実践と言った場合に、実践を通してお互いの共通項を見出して設計していくスタンスだったと思うんですが、それに対して現在のスタンスを教えていただけますか。
吉村|はっきりその二つは分けられないと思うけどね。ベクトルの向きからすると実践から理論へだと思います。というのは僕の場合は、何かを一旦つくればそこに入ってみた気になって、作るときに想像していなかったことを発見する。そのプロセスが結構重要な気がしていて、自分のつくったルールから離れていくものは何なのか、ということに興味があります。だから常に今でもたくさんアイデアを出してはつくり、それに対するジャッジをたくさんする。もしかしたら10年後には頭だけですべてわかるようになっているのかもしれないけど、今はもう素振りのようなもので、一日何本でも素振りをして、今の素振りは良かった、違う空気との感触があった、みたいな発見をしています。体育会系だからかもしれないんだけど(笑)常に動かしていくなかでつくっていき
たいと思っています。ただジャッジするのには打席に立つことが必要なので、どこで素振りをやめるか、球を読んでどうあててどこに飛ばすのか飛距離を読んでゲームの流れを作るのかを決めるのが理論なんじゃないかな。このループがないと素振りが一人歩きしてしまう。

fig3:西光寺本堂(設計 : SUPER-OS)


「土としての東工大
宮城島|東工大の教育や、その中での卒業設計というものをどう位置づけていますか?
吉村|今は教える側なので、東工大の教育はいいと思っていますよ(笑)。卒業設計は、先生達が何を評価するのかの価値基準が顕在化されるようになると良いと思うんだけど、今は学生の方が評価されることに価値を置きすぎているから、先生たちの価値基準は問題にされなくなっている。目標はあの人たちを焦らせることではないかと。僕の時はこういうことをやる先生なんて東工大にいないだろうと思いつつも、あの人たちが評価するのだから、そこに投げかけて、彼らが自分の作品にどう反応するのかを聞きたいと思っていました。だからもう少し素直に、何かを知るために卒業設計をやってもいいと思う。ただ東工大には伝統的に培われてきた文脈があって、それをどう受け継ぎ、どう伝え、その中で自分は何をするのかを考えられる軸があるというのは非常に幸せなことだと思いますね。教える側としては、半分は伝えられてきたことを、もう半分はそれに対して自分はどう考えているのかということを伝えていこうと思っています。誰かの教えをただ伝えるのではなく、そこに自分の価値感を投影して、またそれに対して批評を受ける。そういう場は今のところ東工大にしか無さそうなので、これはいい土壌だね。みんなは種のようなものなので、そこから距離を取ろうと、土を毛嫌いする必要はなくて、いい土でどう伸びるかを考えてすくすく育てばいいんじゃないか。僕は養分として何かを加えてあげられればいいと思っています。


「教育というメディア」
坂根|今後の展望を教えてください。
吉村|早く研究室は持ちたいですね。坂本研究室のOBで教育関係の方の集いに飛び入り参加する機会があって、そこで気付いたんだけど、まずは坂本先生に直接教えを受けた人たちがたくさんいて、さらにその人たちの教え子がたくさんいる。その孫世代である僕らのさらに教え子がいれば、もうねずみ講のように、世の中は教え子だらけになる(笑)大学は刹那的な流行をいきなり作れたりはしないけど、非常にゆったりと、多くのことを伝えられるメディアだと考えれば、初速は遅いけど50年後にはかなりの多数派になっているというのは非常におもしろいと思います。それは雑誌に載って何部売れるとか言うのとは違う世界。こうやって、自分の中での教えることの価値が分かってきたので、早く研究室を持ってたくさんのことを伝えていきたいですね。研究室を持つのと並行して、作品もたくさんつくりたいですね。僕の場合、つくるって事がないと自分の思考の仕組みが作れない。だからやっぱり何かをこう常に素振りしながら、やっていきたいなと思っています。

fig4:インタビュー風景(事務所にて)